2017/12/03

いじわる王子

 

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「おお、戻ったな」
リュカが王室に戻ると、ラインハット国王が玉座に座しながらリュカを迎えた。側近の兵士が二人、国王の両脇に控え、リュカを穏やかに見つめる。しかし、そこに父パパスの姿はない。王室内をキョロキョロと見渡すリュカを見て、ラインハット国王は笑みを口に含んで言う。
「パパスとの話は先ほど終わった。パパスにはわが長男、ヘンリーのお守をしてもらうことにした」
「えっ、じゃあお父さんはどこに行ったの?」
「今、パパスはヘンリーのところにいるはずだ。そなたもヘンリーの友達になってやってくれい。……パパスを助ける意味でもな」
「ぼくがお父さんを助けるの? そのヘンリー君と友達になればいいんだよね」
「ああ、頼む」
にこやかながらも、どこか真面目な雰囲気漂うラインハット国王に、リュカはもう一度「うん」と頷いた。素直なリュカを見ながら、ラインハット国王は思わず首をゆるゆると横に振る。まるで感激を表すような仕草だ。
「でも、ぼくがここに来る時、お父さんに会わなかったよ。デール君じゃなくて、ヘンリー君だよね?」
「そなた、デールに会ったのか?」
「うん、女の人と一緒にいたよ。……ぼく、あんまり好きじゃない人だったな」
素直な感想を呟くリュカに、ラインハット国王は苦笑いを隠し得なかった。困惑した表情を見せながら、こめかみ辺りを指でカリカリと掻く。
「デールはヘンリーの弟だ。そなたに友達になって欲しいのは、兄のヘンリーの方だ。城を探検していたら、その名を耳にしなかったか?」
ラインハット国王にそう言われ、リュカは今まで聞いてきた城の人々の話を思い出した。思い返すと、総じてあまり良くない印象がリュカの頭の中によみがえって来た。
「でも、悪い子じゃないって言ってたよ。あと、カエルが好きなんだよね」
「どうやらちょっとは耳にはさんでいるようだな。その言い方では、あまり良いことは聞かなかったであろう」
「……ひねくれてる?」
「なかなか的を得た言葉だ。誰がそれを話したかは聞かないでおこう。しかし城の者が話す言葉は大方間違ってはいないようだな」
ラインハット国王は肯定しながらも、複雑な表情で溜め息をついた。まるで子供のようにコロコロと表情を変える国王の姿を見て、リュカは父と話すよりもどこか親しげな雰囲気を感じるようになっていた。
「リュカ君、そんなひねくれものでも友達になってくれるか?」
「だって、悪い子じゃないんでしょ? 友達になれたらいいな」
父と旅をして、幼い頃より各地を転々としているリュカにとって、友達は得難いものだ。リュカは本能的に常に友達を欲しがっている。パパスからそんな話を聞いていたラインハット国王は嬉しそうに首を縦に何度か振ると、玉座を立ってリュカに近づいた。リュカの足元にいたプックルが一瞬、警戒の声を出したが、リュカはプックルの背を撫でてその声を抑える。
「……パパスは幸せ者だな。俺は、何かを間違えてしまったのかもしれない」
リュカの頭を撫でるラインハット国王には、年相応とは言えない疲労感が漂っていた。リュカは頭に載せられる国王の手をずしりと重く感じていた。
「この階段を下りて、左の門の向こうに廊下が続いている。それを道なりに行った突きあたりを右に曲がればヘンリーの部屋だ。誰かに案内させよう」
「ううん、ぼく一人で大丈夫だよ。今も色んなところに行ってきたから、一人で行けるよ」
自信ありげに話すリュカを見ながら、ラインハット国王はニヤリと笑う。
「美味しい食事も済ませて来たか?」
「えっ?」
リュカが戸惑うと、ラインハット国王はいかにも楽しげな顔つきで、リュカのマントの首元を指差した。リュカが手で引っ張ってマントを見ると、そこには先ほど厨房で食べた肉のソースが少し付いていた。
「後でちゃんとした食事も出るからな。また腹を減らしておくんだぞ」
「……えっと、あの……ごめんなさい」
リュカが所在なさ気に謝ると、国王は豪快に笑った。側近の兵士二人も声を漏らして笑っている。リュカはやり場なく、足元にいるプックルに「プックルが先に食べちゃうからいけないんだぞ」などと密かに当たっていた。見れば、プックルの口周りには、リュカのマントどころではない量のソースが付いていて、プックルは肉の美味しさを思い出したかのように口の周りをぺろりと舐めた。満足気なプックルを見て、リュカは更にやり場をなくし、「プックル、行くよ」と言って王室を出ようと国王に背を向けた。
「厨房で誰かに食事を分けてもらったんだろう。何も悪いことはしていないんだから、堂々としていれば良い。………悪いことをしても堂々としている子供もいるんだ、困ったことにな」
「悪いことしたら、あやまらなきゃいけないんだよ」
「そうだな、それが正しい。しかし、正しいことがしたくてもできない子がいるんだ。……と、君に話しても仕方のないことだな。実際に会って話して来てくれ」
リュカは途中で話を止めたラインハット国王をしばし見つめたが、階段の下で城の人の悲鳴を聞き、横にいたプックルがいないことに気付き、急いで王室を出て行った。階段を駆け下りていくリュカの足音を聞きながら、ラインハット国王は密かに胸を痛めていた。
「悪いのは俺だったな。息子は悪くない」
王室に小さく響いた王の呟きは、側近の兵士にも届かなかった。



王室の下の広間に出ると、リュカは左手の門手前の兵士に話しかけた。兵士は近くで尻尾を低くして威嚇するような声を出している大猫から遠ざかりながら、リュカに道を開ける。
「お父上はこちらにおいでだよ」
「ありがとう。プックル、行くよ」
「にゃう」
呼ばれたプックルはリュカの傍に寄って、足に身体をこすりつける。リュカが門を通り過ぎ、続いてプックルが通って行く時、門番の兵士はプックルを避けるように半歩後ずさっていた。
中庭を囲む二階の回廊にも窓から陽の光が差し込んでいるが、一階の窓よりも小さいため、廊下は薄暗い。その廊下の壁にもたれて佇む人影を見つけて、リュカは駆け寄って行った。
「お父さん、こんなところで何してるの?」
リュカに話しかけられ、パパスは驚いたように顔を上げた。
「おお、リュカか」
「ヘンリー王子のところにいたんじゃなかったの?」
「ああ、まあ、そうなんだが」
歯切れの悪いパパスの言葉に、リュカは珍しいとでも言わんばかりに父の顔を覗きこんだ。父は見たこともないような苦笑いをしている。
「本当は王子の傍にいたいのだが、参ったことに嫌われてしまったらしい」
「お父さんが? どうして?」
「……ちょっと叱ってしまったからかな。私にできることをと思ったのだが」
考え込むように腕を組んで唸るパパスを見て、リュカも不安な気持ちになる。
「だがお前なら子供同士、友達になれるかも知れん」
「うん、今、王さまと約束してきたんだ、ヘンリー君と友達になるって」
「父さんはここで王子が出歩かないよう見張ってるから、頑張ってみてくれぬか?」
「うん、行ってみる」
「よろしく頼んだぞ。部屋まで父さんも一緒に行こう」
「でもお父さん、王子にきらわれちゃったんでしょ?」
「う……そ、そのようだったが」
息子の隠し事のない言葉にパパスは多少傷ついた一方で、リュカは父を助けるためにと自分を奮い立たせようとした。プックルの尻尾でひらひらと揺れている黄色いリボン。アルカパに住むビアンカからもらった友達の証だ。そのリボンを見ていたリュカは、ヘンリーと友達になると言うことが簡単なことなんじゃないかと、自然と思い始めていた。悪い子じゃないと言われていたのをまた思い出す。
「大丈夫、ぼく一人で行ってみるよ」
「そうか。ヘンリー王子はこの廊下をつき当って右側の部屋におられる」
「プックルもここで待ってて」
「がうがう」
「ついてくるの? じゃあ、部屋の外で待ってるんだよ。王子がこわがっちゃうかもしれないからね」
プックルは分かっているのかいないのか、歩きだしたリュカの後をいつも通りついて行く。ここにもやはり赤い絨毯が敷かれているが、薄暗いためその色がよく分からない。
突き当たりまで進み、右を向くと、少し開かれたままの扉がある。その中からは光が漏れている。リュカが開きかけている部屋の扉を少し押してみると、意外にも軽く扉が開いた。
「誰だ」
中から男の子の声が聞こえた。リュカはその強い口調に少したじろいだが、思い切って扉を開けて部屋の中に足を踏み入れた。
ヘンリー王子は窓側に置かれた机に肘をついていた。リュカの目にまず飛び込んできたのは、鮮やかな緑色だった。窓からの明かりに晒され、ヘンリー王子の髪が明るく照らされている。開け放した窓から心地よい風が通り、肩まで伸びる王子の真っ直ぐな髪をさらさらと揺らす。
しかしヘンリー王子の表情はと言えば、敵意むき出しのものだった。リュカを睨む空色の目が、子供とは思えないほどに鋭い。鼻から頬の辺りにはそばかすが散らばっていて、口は無愛想にへの字に曲がっている。
そんなヘンリー王子の様子に、リュカは少しの間言葉も出せなかった。しかし「友達になる」という国王や父との約束のために、ヘンリー王子に話しかける。
「ぼくはリュカって言うんだ。キミはヘンリー王子だよね? ぼくとともだちになってほしいんだけど」
話し出すリュカを見ながら、ヘンリーは椅子の上で胡坐をかいた。再び机に肩肘をつき、無言でじろじろとリュカを眺めると、気付いたように声を上げた。
「あっ、分かったぞ。親父に呼ばれて城に来たパパスとかいうヤツの息子だろう」
「うん、そうだよ」
「ふん、自分が手に負えなくなったから、息子に俺の面倒を見させようと思ったのか。情けないヤツだ」
「お父さんはなさけなくなんかないよ!」
尊敬する父を馬鹿にされ、リュカも黙ってはいなかった。大人しそうな見た目のリュカに大声を上げられ、一瞬ひるんだヘンリーだったが、口元をひきつらせながらも余裕の態度を見せる。
「パパスは俺の親父に、俺の面倒を見ろと命令されたんだぞ。王様に命令されたんだ。逆らっちゃいけないんだ」
「ぼくも王さまに『キミと友達になって』ってたのまれたんだ。だからお父さんはカンケイないよ」
「俺と友達に? 友達? ……笑わせるなよな。俺は王子なんだぞ。友達なんか、必要ないんだ」
「でも友達と一緒に遊んだ方が楽しいよ」
「俺はラインハット王子だぞ。王様の次に偉いんだ。王子に必要なのは、子分だ。……そうだ、お前、俺の子分にしてやろうか?」
「それって友達じゃないんだよね。ぼくがおねがいされたのは友達になることだもん。コブンにはなれないよ」
きっぱりと断るリュカに、ヘンリーは不貞腐れたような顔つきでリュカを睨む。
「生意気なヤツだな。子分になれないんならお前に用はないぞ。帰れ帰れ!」
「どうして友達になれないのさ」
「王子に友達はいらないんだ。お前らみたいな低いミブンのやつには分からないだろうけどな」
「うん、わかんないよ。友達と一緒に遊びたいと思わないの?」
「……遊びたくなんかないね。俺は大人になったら王様になるんだから、遊んでる暇なんてないんだ」
「王さまになるって、さっきの子も言ってたよ。えーと、名前なんだっけ」
「お前、デールに会ってきたのか」
「あっ、そうだ、デールくんだ。さっき会ったんだ。女の人と一緒にいたよ」
「ああ、あの女とな……ふん」
苦々しい顔つきでヘンリーはリュカから目を逸らして、窓に目をやった。窓辺には何羽かの小鳥が、縁に散らばっているパンくずを啄んでいる。ヘンリーはその鳥が目障りだとでも言うように、窓辺を強く叩いて、小鳥たちを追い払ってしまった。
「どうしてそんなことするの? かわいそうだよ」
追いやられた小鳥は近くの枝に止まって、ヘンリーを見ているようだった。ヘンリーが窓の縁のパンくずを外に払うと、小鳥たちは餌を求めて下に下りて行った。
「可哀そうなもんか。あいつらはただエサが欲しかっただけだ。それでここにいただけなんだ。別におれが何をしようが、あいつらは何とも思っちゃいないだろうさ」
「そんなことないよ。……それに何とも思ってないなら、どうしてキミはパンをそこにおいたの? あのトリと友達だからじゃないの?」
「鳥と友達だって? お前、頭がどうかしてるのか? 鳥が友達になれるわけないだろ」
「そんなことないよ。ぼくはプックルと友達だよ」
「プックル? 誰だそいつは」
「今は外にいるけど……あ、プックル、来ちゃったのか」
リュカの後ろからのそりと現れた大猫の姿に、ヘンリーは思わず椅子の上に立ちあがった。プックルはリュカの足元で、興味深そうな目でヘンリーを見上げる。ガタガタと揺れる椅子の下で、椅子を支える床も揺れた。
「な、なんだ、そいつはっ。それは、猫なのか?」
「そうだよ。ぼくとビアンカの友達だよ」
「ね、猫が友達なんて、お前はおかしなヤツだな」
プックルの鋭い目に見上げられ、ヘンリーは思わず椅子の上で身をすくませる。
「猫が友達のヤツなんかと友達になれるかよ。やっぱりお前はオレの子分だ。子分にならしてやってもいいぞ」
頑なに『友達』を拒否するヘンリーに、リュカは唸りながらも、渋々返事をした。
「……わかったよ、じゃあコブンでいいよ」
「ふん、初めからそう言えばよかったんだ、物分かりの悪いヤツめ。……その猫はちゃんとおさえておけよな」
ヘンリーはリュカにそう命じてから、プックルの様子を見つつ、そろそろと椅子から下りた。プックルは相変わらずヘンリーをじっと見つめている。しかしそれはただプックルの目が虎のように鋭いだけで、彼に対する敵意は持ち合わせていないようだ。その証拠に、プックルは尻尾を下に下げることもなく、気ままに揺らしている。
「隣の部屋の宝箱に子分のしるしがあるから、それを取ってこい。そうしたらお前を子分と認めるぞっ」
「えっ、それを取ってこないといけないの?」
「そうだ。親分からの命令だ。子分は親分にしたがわなくちゃいけないんだぞ」
「しるしって、何?」
問いかけられたヘンリーは説明する言葉に詰まった。リュカが疑るような目で見ているのを払いのけるように、横暴に言う。
「と、とにかく、隣の部屋に宝箱があるから、その中を見てこい」
「わかったよ、取ってくればいいんだね」
リュカは素直に頷いて、プックルを連れて隣の部屋へ向かった。その後ろではヘンリーが何やら楽しげににやにやと笑っていた。
隣の部屋は地下室のように暗かった。部屋の窓は小さな明かり取り程度にあるだけで、息苦しい空間だ。まるで誰かを閉じ込めるためにあるような部屋に見える。
リュカは部屋の中央に置かれている宝箱を見た。隣にいるプックルが警戒していないところを見ると、特に危ないものが入っているわけでもなさそうだ。しかしリュカは、先ほどまでのヘンリーの嫌な態度を考えると、宝箱の中に何が入っていてもおかしくないと、意味もなく忍び足で宝箱に近づいて行った。
宝箱の蓋に手をかけて、ちょっとだけ持ち上げる。鍵はかかっていなかった。何か飛び出してきても嫌だと、リュカは思い切り宝箱の蓋を開けた。その勢いに驚いて、プックルが後ろに飛び退った。
宝箱からは何も出てこなかった。恐る恐る近づき中を覗いてみると、宝箱の中には何も入っていなかった。部屋が暗いので、良く確認しようと、リュカは宝箱の中に顔を突っ込んで中をぐるりと見まわしたが、やはり何も入っていなかった。
「なんにもない……ウソついたんだ」
リュカは腹を立てて、宝箱の蓋を強く閉じると、ヘンリーがいる部屋に足音を響かせながら戻って行った。
「ねぇ、なんにもなかったよ」
リュカが怒り口調でそう言うも、ヘンリーの返事はない。さっきまでヘンリーがいた部屋には誰もおらず、ただ窓からの涼やかな風が部屋の中を通るだけだった。窓辺に再び来ていた小鳥が、部屋に入って来た大猫を見て、慌てて飛び去ってしまった。
「出てっちゃったのかな」
部屋の扉はリュカが入って来た時のまま、少しだけ開かれたままだ。リュカはプックルを連れて部屋を出て、薄暗い廊下を戻り始めた。廊下には隠れるような場所もない。
先ほど通って来た廊下を戻ると、父が壁に背をもたせかけ、考えに耽るように俯いている。リュカの気配にきがつくと、パパスは首を傾げながら声をかけた。
「どうした、リュカ?」
「お父さん、ヘンリーがいなくなっちゃった」
「いなくなった? 部屋から出てもこの通路を通らないと外には行けないはず。しかし王子は来なかったぞ」
「でもいないんだ。どこかにかくれてるのかなぁ」
「ふーむ……。とにかく見てみよう。お前もついて来なさい」
パパスはリュカを連れ、ヘンリーの部屋へ向かう。リュカは父の後に続きながら、廊下を注意深く見渡す。良く見てみると、王子の部屋に続く廊下にしては、掃除が行き届いていない状態だ。絨毯には埃が積もり、廊下の壁につけられた燭台にはクモの巣が張っている。
ヘンリーの部屋の扉を開けたパパスは、何食わぬ顔をして椅子の上に胡坐をかいているヘンリー王子を見た。パパスの姿を見るなり、ヘンリーは眉を吊り上げて怒鳴る。
「あっ、パパス! お前は部屋に入るなと言っておいたはずだぞ!」
ヘンリーの声を聞いて、リュカがパパスの後ろから部屋を覗きこんだ。リュカと目が合ったヘンリーは、また子供とは思えないような鋭い目つきでリュカを睨む。
「やれやれ……とことん嫌われたものだな。失礼つかまつった」
パパスは律義に一礼すると、リュカを部屋の外に出したまま、扉を一度閉めた。パパスはしゃがみこんで、リュカと目線を合わせて小声で話す。
「リュカよ、夢でも見たな。王子はちゃんといたではないか」
苦笑いするような表情で言うパパスに、リュカは憤りを露わにして声を荒げる。
「ぼく、ウソなんかついてないよ。ホントにいなかったんだよ。向こうの宝箱のあるところにも、今のところにも、いなかったんだよ」
リュカは妖精の国に行けるような子供だと、パパスは自分の息子が少し特別と感じている。一瞬にして、夢の世界に旅立つことも、この子ならできるのではないかと、そう思って言った軽い一言だった。パパスの心にリュカを疑う気持ちは一つもなかった。
「まあ、いい。ともかく王子の友達になってやってくれ。ヘンリー王子は私には部屋に入るなと言ったが、お前に入るなとは言わなかった。王子も本当は友達が欲しいはずなんだ」
「ヘンリーはともだちなんかいらないって。コブンならしてやるぞって言ってた」
「……全く、素直でないな」
「すなおじゃないって、ひねくれてるってこと?」
「まあ、そういうことだな。リュカ、もう一度頑張ってみてくれるか?」
「……うん、わかったよ」
「頼んだぞ」
子供心ながらに、リュカはいつも父の役に立ちたいと思っている。本来なら父からの頼み事は嬉しいはずなのだが、ヘンリーと友達になるという頼み事には全く気が乗らなかった。扉の向こうにいる怒ったような顔をしたヘンリーを思い出すだけで、リュカは心が塞ぐのを感じた。
そんな自分の気持ちに気付いて欲しいリュカは、今一度父を振り返ったが、父は「頑張ってくれ」と言うだけで、リュカを止めようとはしなかった。嬉しい父の期待と、嫌なヘンリーの態度とに挟まれながら、リュカは暗い表情で部屋の扉を開けた。
「何だ、またお前か」
ヘンリーは変わらず椅子の上で胡坐をかいている。依然、偉そうな態度のヘンリーに、リュカは怒ったような目つきでヘンリーを見るが、ヘンリーはそんなリュカの態度はものともしない。
「どうだ、子分のしるしを取ってきただろうな」
「しるしなんてなかったよ。宝箱、からっぽだったよ」
「なに? 宝箱は空っぽだったって?」
「もともとなんにもなかったんじゃないの?」
「そんなはずはないぞ。ちゃんとくまなく探したのか?」
「さがしたよ。プックルも一緒にさがしたよ。でもなかった」
「じゃあまだお前の調べ方が足りないんだ。あるはずだからもう一度見てこい」
「どこにあるかおしえてくれてもいいのに」
「それじゃつまらないだろ。子分になりたければもう一度よく調べてみな」
椅子の上から見下ろすヘンリーを、リュカは下から睨んでいた。しかしヘンリーが不機嫌そうに目を逸らすと、リュカは後ろについていたプックルに声をかけて、隣の部屋へ足を向けた。しかしプックルがついてこないのを見て、リュカは後ろを振り返る。
「なんだよ、あっち行けよ、化け猫め」
プックルが椅子の周りをぐるぐると回るのを恐れるように、ヘンリーが椅子の上に立ち上がっていた。プックルの赤く燃えるような尻尾の先が、ヘンリーの手の届く高さまで上がっていたが、ヘンリーはその尻尾からもくねくねと体を避けている。リュカは困っているヘンリーを見て、ちょっと笑った。
「きみが悪いことしなきゃ大丈夫だよ。プックルはきみがキライじゃないみたいだから」
「そんなことを言って俺をダマせると思うなよ。俺を安心させて、こいつに噛みつかせるつもりだろ」
疑いの眼差しを向けるヘンリーに、リュカは思わず眉をひそめた。
「……プックル、おいで。ヘンリーはプックルのこと、好きじゃないんだって」
リュカの声に振り向いたプックルは、もう一度椅子の下からヘンリーを見上げた後、リュカのところへ悠々と歩いて行く。ヘンリーは椅子の上に立ちながら、まだプックルを警戒するような目で見ている。リュカはヘンリーから目を逸らし、プックルの背中の赤毛を撫でながら隣の部屋へ入って行った。
再び薄暗い部屋に入ると、先ほど勢い良く閉じた宝箱がそのまま置かれていた。今度こそ中に何か仕掛けがしてあるのではないかとリュカは警戒心を持った。しかしヘンリーの意地悪な顔つきが脳裏をかすめると、今度は腹を立てながら宝箱に向かった。
芽生えた警戒心などそっちのけで、リュカは蓋を思い切り開けると、中に手を入れてみた。宝箱の木の固い感触があるだけで、やはり何も入っていない。蓋の裏側も手で探ってみる。凸凹も何もない木の感触があるだけで、変わったものは何もない。
「プックル、やっぱり何もないよね」
「がう」
「もしかして宝箱じゃないところにあるのかな、そのしるしってやつ」
リュカは薄暗い部屋を見渡した。宝箱以外は何も置かれていないような、殺風景な部屋だ。しるしの形も大きさも、何も分からないリュカは唸ると、もう一度ヘンリーの部屋に嫌々戻った。
「ねぇ、しるしってどれくらいの……」
話しかける相手はまたしても部屋から消えていた。リュカは腹を立てたまま、またパパスのところへ戻ろうとしたが、プックルがついてこないことに気付いた。振り返ればプックルはヘンリーの椅子の辺りで立ち止っている。
「プックル、行くよ」
リュカが急かすように呼ぶが、プックルは椅子の周りを嗅ぎまわるようにそろそろと歩いている。不思議に思ったリュカは、プックルと同じ視点になるように床にかがみ込んだ。
プックルは椅子の下の絨毯をがりがりと爪で引っ掻いている。その拍子に、鮮やかな赤の絨毯の一部がぺらっと持ち上がった。その一瞬で、リュカは絨毯の一部が切り取られていることに気が付いた。絨毯に手をかけ、リュカは力いっぱいそれを捲り上げた。豪華な絨毯は想像以上に重かったのだ。
絨毯の下の石床に、一部、木の板がはめ込まれていた。木の板は容易に持ち上げられるように丈夫な紐の取っ手がついている。リュカは新たな発見を楽しむような気持ちになって、取っ手を掴んで上げた。
下に下りる狭い階段が続いていた。暗い階段の先には光が漏れている。リュカは足元を確かめながら、プックルと共に階段を下りていく。
あと三段で階下に着く、というところでリュカはヘンリーと目が合った。ヘンリーは驚いたように目を瞬いた後、すぐにリュカから目を逸らした。
「なんだ、もう階段を見つけてしまったのか。ふん、つまらないヤツだな」
無愛想な態度をとるヘンリーに構わず、リュカは隠し階段を見つけた興奮で目を輝かせている。
「すごいね、どうしてこんなところにカイダンがあるの?」
「俺は王子だからな、いざって時にここから逃げるように道があるんだ。城でも知ってるのは偉いヤツだけなんだぞ」
「へぇ、そうなんだ。すごいね、かっこいいなぁ」
リュカは自分が下りて来た階段を覗きこむ。ヘンリーの部屋からの明かりが階段に漏れている。そんなリュカを見ながらヘンリーは得意げに胸を逸らした。
二人がいるこの場所も城の一部ではあるが、ヘンリーとリュカ、プックル以外の人気はない。普段から人が往来する気配もなく、この場所だけが城の中でも隔絶されたような空間だった。中庭からの日差しで昼間は目が利くが、夜ともなれば燭台も取り付けられていないこの場所は暗闇に覆われる。
「ここを見つけたのはお前が初めてだ」
「プックルが見つけたんだよ」
リュカの言葉に合わせるように進み出すと、プックルは興味津々の様子でヘンリーに近づく。猫とは思えない大きのプックルに、ヘンリーは怯えたように辺りをキョロキョロと見回す。そうこうしている間にプックルに周りをゆっくりと歩かれ、ヘンリーは身動きできずにその場で固まった。プックルはそんなヘンリーを尻尾でバシッと叩く。その拍子にヘンリーが短い悲鳴を上げた。
「こわくないよ。プックルはキミのこときらいじゃないみたい」
「……ほ、本当か?」
「きらいだったら、かみついてるよ」
「なっ! そんなことにはならないだろうな!?」
「プックルがイヤがることしなきゃ、大丈夫だよ」
リュカはそう言いながらヘンリーの横で足を止めたプックルの背を撫でる。プックルがいかにも猫のように、目を細めて気持ち良さそうにしているのを見て、ヘンリーは自分から大猫に近づいてみた。腰が引けた態勢ながらも、そろそろとプックルの背中に触る。猫の毛とは思えないほどの固い毛質に、ヘンリーは一度手を止めたが、大人しくしている大猫に安心したように、柔らかく背の辺りを撫でた。
「なんだ、こわいのは見た目だけなんだな。普通のネコと変わらないじゃないか」
ヘンリーはプックルの横に座り込み、今度は喉を撫で始めた。プックルは顔を上げて喉をゴロゴロと鳴らしている。
「ヘンリーはネコが好きなんだね」
にこにこしながら言われたその言葉に、ヘンリーは和らぎかけていた表情を一転させ、また無愛想な顔つきになる。
「どうしてそんなことを言うんだ」
「だってプックルにやさしいよ」
「ネコにやさしいなんて、女みたいだ。バカにするな」
「ネコにやさしいと女のひとになるの? ぼく、よくわかんないよ」
「だからお前も女みたいになよなよしてるんだ」
「ぼくは男の子だよ。女の子じゃないよ」
リュカが反発する調子を楽しむように、ヘンリーはふんと口元で笑った。プックルはそんなヘンリーの様子を不思議そうに見上げている。ゆらゆらと揺れているプックルの尻尾に結んである黄色いリボンを見て、ヘンリーは続けて言う。
「女の飼い主のせいで、この猫も女にさせられたのか。安っぽいリボンなんかつけられて」
「ぼくは女の子じゃないってば。プックルも男の子だよ」
強い口調で反論するリュカを、プックルは珍しいものを見るような目で見つめている。そんなプックルの脇にかがみこみ、リュカはプックルの背を撫でながら「ちょっとだけなら、かみついてもいいよ」と呟いた。その呟きが聞こえたヘンリーは慌てて一人と一匹から離れる。
「お、お前! 王子をケガさせたらただじゃすまないぞ」
「ぼくは何にもしないよ。でもプックルが走ったら、ぼく、追いつけないもん」
リュカはそう言いながら、けしかけるようにプックルの背中をそっと押す。立ち上がったプックルは大きな牙を見せながら欠伸をした。
その時、この場所に風が流れた。
見れば、壁の一部が回転扉のように開かれ、中に素早く人が入り込んできた。リュカとヘンリーが飛び上がって驚く。
扉から入って来たのは二人の男。二人とも体つきのがっしりとした、しかしおおよそ城の人間とは思えないようなみすぼらしい格好をしている。
二人の男はリュカとヘンリーを見比べ、迷うことなくヘンリーに近づいた。ヘンリーは形ばかりの腰の剣の存在も忘れて、ただ後ずさりする。
「ヘンリー王子だな?」
「何だ、お前らは!?}
「悪いが一緒に来てもらうぜ」
男はヘンリーの子供の腕をやおら掴んだ。強いその力に、ヘンリーは暴れて抵抗する。
「何をする、はなせ!」
「暴れなきゃ痛い目には合わせねぇのにな」
男は半ば楽しげに言うと、掴んでいたヘンリーの腕を引く。態勢の崩れたヘンリーの腹を、強く殴った。一瞬のうめき声と共に、ヘンリーが意識を失いぐったりしたのが、リュカにも分かった。しかしリュカは目の前での出来事があまりにも突然で、何もできずに立ち尽くしている。
「さっさと連れて行くぞ」
「こっちの子供はどうするんだ」
「そっちの子供に用はない、放っておけ」
男はヘンリーを片腕で抱えるように持ち上げると、再び壁の回転扉から出て行ってしまった。我に返ったリュカは慌てて男たちの後を追うように壁を回転させた。
扉の向こう側には草地が広がり、すぐ目の前に城周りを囲む濠があった。男たちが濠に下りていくように姿を消した。すぐにその後を追ったリュカは、濠の下に下りる階段を見つけた。
すぐさま男たちの後を追おうとしたリュカだが、男がヘンリーを殴った光景がふと脳裏に蘇った。途端に恐怖に駆られるのを感じ、リュカは身を隠すようにして階段下の男たちの様子を窺う。
「しかし何だってあんなところに抜け道があるんだ?」
男たちの無遠慮な声が聞こえる。
「大事な王子様をいざって時に逃がすためらしいぜ」
「ああ、だからあの女が知ってるのか」
「そういうわけだ。あいつは悪い奴だよ、俺たちなんかよりよっぽどな」
「おい、モタモタしてねぇで早く王子をイカダへ」
リーダー格らしい三人目の男の声が聞こえると、その後は誰の声も聞こえなくなり、静かに水を掻く音だけがリュカの耳に届いた。リュカが覗き見る目の前で、男たちは用意していた筏を櫂で漕ぎながら、濠を進んで行ってしまった。
為す術もなく、その場に立ち尽くしていたリュカだったが、隣で心細げに鳴くプックルに現実に引き戻された。弾かれるように城の中へと戻り、ヘンリーの部屋へ続く階段を駆け上り、後ろをついてくるプックルを振り返ることもなく、リュカは父の元へと駆け戻って行く。
城の廊下ではパパスがリュカを待つように立っていた。パパスは再び現れたリュカを見て、「またか」と言うような呆れた表情で息子を迎えた。
「お父さん!」
「なんだ、また王子がいなくなったか」
「うん」
「そう言えと、王子にお願いされたのか?」
「ちがうよ、だれか知らない人に連れて行かれちゃったんだよ!」
「何? 王子が攫われただと? 本当だろうな、リュカ」
「本当だよ、イスの下の部屋にいたら、知らない男の人が来て、ヘンリーを連れて行っちゃったんだ」
「椅子の下? 何だか良く分からないが、とりあえずそこへ連れて行ってくれ」
父を連れ、三度ヘンリーの部屋に入るリュカ。窓辺にいる小鳥たちが首を傾げるような仕草でリュカたちを見ていた。そんなことには気づかずに、リュカは開けられたままの階段を急いで下りていく。その後をパパスが身を小さくして、狭い階段をそろそろと下りて行った。
階下に下り、リュカは開いていた石の壁を通り過ぎる。パパスには椅子の下の階段やら、通り抜けできる石壁やら、驚くことばかりだった。リュカが通り過ぎて言った石壁の向こう側からは、外の景色が覗いている。
外に出ると、少し柔らかくなった日差しが草地を照らしていた。初夏の暑さは感じるものの、城の東側であるこの場所には日差しが陰り、涼しい風が通り抜ける。
「あの川でヘンリーを連れてっちゃったんだよ」
リュカに指さされるまでもなく、パパスは城の周りを囲む濠を見下ろしていた。深い濠は、何かを隠して運ぶにはうってつけの場所だ。濠の水位は低く、影が入り、ちょっとやそっとでは人はこの濠の中のことには気づかないだろう。
「いいか、リュカ、このことは誰にも言うな。騒ぎが大きくなるだけだからな……」
「でも……」
「大丈夫だ、父さんが何とかする」
信頼する父にそう言われ、リュカの心は少し落ち着きを取り戻した。父がヘンリーを助けてくれる。強い父が、先ほどの男たちに負けるわけがない。リュカの頭の中に、良いイメージが次々と湧き上がってくる。
「とにかく王子を助け出さないと。……しかし一体どこに連れ去ったのだろう」
パパスはそう呟くと、眉間に深い皺を寄せて、唸った。
「リュカ、連れ去ったのは人間だったか?」
「え? うん、男の人が三人いたよ」
「そうか。ならばこの世界だな」
「??」
父の言う意味が分からず、リュカは首を傾げた。しかし考え込むようにパパスが歩き始めると、リュカも濠を覗きこんでいたプックルに声をかけ、父の後をついて行った。



城壁の周りを歩いて行くと、先ほど通って来た城の正門近くに出た。つい先程父と渡って来た、城下町から城へ通じる大きな橋を再度渡る。城門にはラインハット兵が背筋を伸ばして立っていたが、先ほどの兵士ではなかったようで、パパスとリュカには気付かなかった。
パパスは城下町を見渡した。町の人の往来はさほど多くはない。そんな中で、旅装の父子の姿はどうしても目立った。城下町の人々の目が自然と自分らに向けられるのを感じ、パパスは目立つのは得策ではないと、大通りを避け、民家の路地裏に入って行った。
そこでは一人の女の子が地面に絵を描いて遊んでいた。友達の姿は見えない。一人で遊んでいるようだ。
女の子はパパスの姿を見ると、びくっと身を震わせて逃げようとしたが、その隣にいるリュカを見ると、今度は興味が沸いたようにじっとリュカを見つめる。リュカの横にいる大猫を見ても、怖がったりはしなかった。
「君は一人で遊んでいるのか?」
「うん。いまね、おえかきしてたの」
リュカよりも少し幼いようだ。恐らくすぐ横の民家の子供だろう。親は家の中にいるのかも知れない。
「誰か友達と一緒に遊ばないのか?」
「だって、みんな、ひがしのイセキに行くんだって言うんだもの。わたし、こわいから行かないよ」
「東の遺跡? なんだ、それは」
「このおしろのひがしの方には大きなイセキがあるんだって。でもわるい人がいるかもだから、ぜったいに行っちゃダメってママに言われてるの」
「男の子たちは行ってしまったのか?」
「行けるわけないよ。いっつもとちゅうでかえって来ちゃうんだよ」
女の子の言うことに思案を巡らせながら、パパスは懐から地図を取り出した。使い古した地図は端が擦り切れており、描かれている世界の形も所々消えかけている。パパスの文字で色々と書き込まれていたが、リュカには読めなかった。女の子も一緒になって覗きこんでくる。
「おじさん、こんなおっきなちずをもってるのね」
「ああ、旅をしているからな。君がいる場所は今、ここだ」
パパスは川を挟んで二つに分かれる北の大陸の、右側を指さした。山々に囲まれる中、何かのマークが書き込まれ、文字が書かれている。その字が「ラインハット」と書かれていることに、リュカも女の子も分からないように曖昧に頷いた。
「そして東はこっちだ。歩いてどれくらいかかるかとか、何か聞いたことはないか?」
「オトナの足でも二時間くらいかかるって言ってたとおもうよ」
「東の遺跡の話は、このラインハットではみんな知ってるようなことなのか?」
「ママならしってるんじゃないかな。行っちゃダメって言うんだもの」
「そうか、そうだな……」
パパスはちらりと民家を見た。夕飯の支度をしている匂いが中から漂ってくる。女の子の母親が家の中で家族の夕飯の準備をしているのだろう。
話を聞こうと思えば民家を訪ねるだけで良い。しかし王子が攫われているという異質な状況で、パパスは目立つような行動を起こしたくはなかった。まだ明るみに出ていない事実とは言え、直に嫌でも広まるだろう、城の関係者によって。
パパスは女の子に礼を言うと、すぐにその場を立ち去った。リュカとプックルも急いでパパスの後を追う。取り残された女の子はキョトンとして旅人の背中を見ていたが、再び地面に枝で絵を描き始めた。一人遊びには相当慣れている様子だった。
入り組んだ路地裏の道を、パパスは迷うことなく進んでいく。リュカは父の後を歩きながら、もう先ほどの女の子のところへは一人で戻れない自信があった。
人気のないところでパパスは再び地図を広げる。リュカが覗きこむのを見て、パパスは地図上で指を滑らせる。
「今、リュカがいるのがここだ。そして、あの女の子が言っていた東の遺跡というのが、恐らくこの辺りだろう。大人の足で二時間ほどの距離で、岩山に背を囲まれているこの場所に、昔の国があってもおかしくはない」
「お父さん、イセキって何?」
「遺跡というのは大昔に人々が暮らしていたところだよ。建物だけが風化しながらも残っているようなところだ」
リュカに説明しながらも、パパスの頭は絶えず回っていた。まだ初夏の時期、陽が落ちるまではあと四時間くらいはあるだろう。今から出立し、急ぎ足で向かえば陽が落ちる前までには十分に着く距離だ。
大人の足で二時間ほど。パパスはリュカをじっと見つめた。リュカは熱心に地図を見ている。地図を引っ掻きそうになるプックルを両手で押さえながら、リュカは地図の形を頭の中にしまいこんでいた。
「リュカ、お前はここにいなさい」
「いやだ、ぼくも行く」
パパスの言葉を予想していたかのように、リュカの返事は早かった。
「ぼくもたたかえるよ、お父さん。プックルだって強いんだよ」
そう言いながら、リュカはプックルの両足を持ち上げて、仕舞いきれていない鋭い爪を押しだした。普段からどこかで研いでいるのだろうか、プックルの爪は安い刃物よりもよほど威力がありそうだった。
「お前の友達は将来、お前が思っているよりも強くなるのだろうな」
「ぼくも強くなったでしょ。ちゃんと”ぶき”もあるし」
リュカはすっかり使いこなせるようになったブーメランを右手で取り出した。もう既に何度か魔物と対戦している木製の武器だが、不思議なことに傷一つ付いていない。
「……分かった。とにかく王子を助け出さないと」
王子のことで真剣な表情をする父の姿を見て、リュカはほんの少し、嫉妬していた。しかしこのイライラする感覚が何なのかリュカには分からず、顔つきで不貞腐れてみるしかできなかった。
「ついて来い、リュカ。だが父さんはお前を一人前の大人として扱う。遅れるようだったら、リュカ、自分でこのラインハットまで戻るんだ、いいな」
「ぼく、早く歩けるよ。おくれないよ」
「そうか。ではすぐに出るぞ」
パパスはそう言うと、リュカに背を向けて城下町の大通りを目指して進み始めた。路地が入り乱れ、リュカは付いて行くのに必死だ。プックルも余所見をしている暇はないようで、リュカに従順について行く。
大通りに出るとすぐに城に背を向け、町の入り口に向かって歩く。パパスは父の後姿を見ながら、ふとあることに気付いた。このラインハットに来てから、教会を見ていない。父は新しい地に旅立つ前、必ず教会に立ち寄ることにしていた。次の旅が無事なものであるように祈りを捧げるのが、父の旅の習慣だとリュカは知っている。
リュカは一時足を止め、城下町を見渡した。リュカの低い視線からでは城下町全体を見渡すことは不可能だが、それでも教会がある様子はない。父は足を止めずに人通りの少ない大通りを歩いて行く。父の姿が小さくなるのを見ながらも、リュカは教会を探し始めた。
父のことだ。本当に置いて行ってしまうことはないと、リュカは信じていた。常にリュカのことを気にかけ、大した怪我もしていないのに回復呪文を使ってリュカの擦り傷の手当てをする。それくらい一人息子を大事にしている父だ。もしリュカの姿が見えなくなったら、この城下町を捜しまわるか、あの大通りの入り口でリュカが来るのを待っていてくれるだろう。説明のつかない自信がリュカにはあった。
旅装のリュカを物珍しそうに見ている一人の男がいた。まだ年若い青年はリュカと目が合うと、困ったように視線を逸らした。リュカの足元にいる大猫を見て、距離を取ったのかも知れなかった。
「あの……」
リュカは思い切って青年に話しかけた。青年は見た目ほど物怖じしていない旅装の子供を見て、驚いたように目を大きくした。
「教会ってどこにあるんですか?」
「教会? あの神父様やシスターがいらっしゃる、教会?」
「はい。ぼく、そこでおいのりしていかなきゃいけないんです」
「うーん、困ったな。ラインハットの教会はお城の中にあるんだ。君、お父さんかお母さんはいないの?」
「お父さんはあっちにいます。ぼくだけじゃダメかな」
「ちょっと難しいんじゃないかな、子供だけじゃお城には入れてくれないと思うよ。お父さんを呼んできたらどうだい?」
「そうだね、うん、そうしてみます。ありがとう」
丁寧にお礼を言うリュカを感心したような顔つきで見る青年だが、大通りを歩いて行く堂々たる小さな姿を見て、改めて感嘆の息を漏らしていた。
大通りを歩きながら、リュカはプックルに話しかけていた。
「お父さんもあわてんぼうさんだよね。いつも教会に行くのに、わすれてるなんてさ」
プックルは自分が話しかけられているとは思わずに、とことことリュカの横を歩いている。リュカも半ば、独り言のように言葉を落としていく。
「お父さんがあんなにあわててるの、ぼく、初めて見た。なんか、ちょっと……こわかったな」
リュカは呟きながら、体中が不安に包まれるのを感じた。これほど落ち着かない気分になるのは、目の前で人が連れ去られてしまったからだろうか。
ヘンリーが意識を失い、男たちに連れ去られる場面が、リュカの脳裏に蘇って来る。ヘンリーはいじわるでイヤな奴だけど、人に連れ去られてしまうような悪いことはしていないはずだ。むしろ、プックルを優しく撫でていたヘンリーは、もしかしたらイヤな奴でもないかも知れない。厨房の女性も「ヘンリー王子は素直じゃないだけ」と言っていた。
ついさっきまで威勢の良いことばかりを言っていたヘンリーが、大人の男たちの力には為す術なく、あっけなく連れ去られてしまった。ぐったりしたヘンリーの姿を思い出すと、リュカの中にはヘンリーに対する嫌悪感が弱まり、同情や心配する気持ちが膨らんできていた。
父の通って行った大通りを少し小走りに進むリュカとプックル。父の姿は既に大通りにはないようだった。
城下町はさほど広くない。あっという間に大通りの入り口に着いたリュカは、父の姿を捜した。人の往来も大したことないこの場所で、父の姿はすぐに見つかるはずだった。
しかしどこを見渡しても、父の姿がない。あの旅慣れた戦士の姿は、すでに城下町から消えていた。明らかに父がいないと分かりながらも、リュカはいるはずもない草を掻き分けて覗きこんだりした。
ラインハットを出ていないと信じているリュカの傍で、プックルが町の外遠くを見つめていた。そしてリュカを振り返る。
「お父さん?」
リュカの言葉に反応するように、プックルは町の外を歩き出した。やはり父はもう、ここにはいないのだ。父はヘンリー王子を助けるために、容赦なくリュカをこの町に置いて行ったのだ。リュカにはそれが、悲しかった。
「プックル、お父さんが行ったところが分かるの?」
プックルは尻尾を揺らしながら、気ままな様子で歩いて行く。リュカは空を仰ぐ。傾き始めた太陽は右方向に見える。どうやらプックルが進んでいるのは”ミナミ”のようだ。
「プックル、イセキは”ヒガシ”って言ってたよ。そっちはちがうよ」
「がう」
合ってるからついて来い、と言わんばかりにプックルは外を歩いて行く。リュカは疑わしげな眼を向けながらも、自信のある行動も取れずに、ただプックルの後をついて行く。リュカの方角の知識は妖精の国でベラに教えてもらったものだ。先程、父が広げた地図を見ながら、方角を確認し、理解しながらラインハットの位置とイセキの位置を見ていた。
リュカは傾いた日とは逆の、東の方角を眺めた。父は東に行ったはずだが、東には岩山が広がり、リュカの足では到底超えられる高さの岩山ではない。大人の足で二時間という距離がどういうものなのかリュカには分からないが、ヘンリーを連れ去った男たちもあの岩山を超えるのは避けるだろうと、リュカは本能的に感じた。通常の人間の足では越えられないような山だ。ラインハット城はこの岩山と森に囲まれている。
東から北にかけて広がる岩山を超えるには、南へ一度進むしかない。リュカは地図上を滑る父の指の動きを思い出した。確かに父は一度、人差し指を地図の下に滑らせていた。
「プックル、合ってるよ。お父さん、そっちに行ったんだね」
「にゃあ」
プックルは振り返らずに返事をすると、リュカを先導するように急ぎ足で草地を小走りに進んでいく。リュカも遅れじと、プックルのすぐ後ろを進み始めた。

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