機械兵の役割

 

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挟み撃ちに遭った場所は、大きく動き回れるような場所ではない。道幅は迂闊にプックルが全力疾走できないほどで、道の端は下へと落ち窪んでおり、靄がかかり底は見えない。その靄の遥か下から時折、何者かの低い唸り声のような音が聞こえるような気もする。リュカたちに吹く風など感じないのだから、風の悪戯とは思えない。その音が耳を掠めればそれだけで背筋が凍りつきそうな感覚を得る。決して道の端から足を踏み外してはならないことだけは、考えなくとも理解できた。
敵の群れは、戦うことだけを目的に作られた機械兵だ。光る赤い目は敵を捕らえる探知機であり、それが正確にリュカたちの姿を認識する。そこに一切の感情が見られないために、不気味であり、行動の予測が難しい。生き物であれば行動の直前に感情の動きから、僅かにも先の行動を読む事も出来ようが、キラーマシンの動き自体は全て唐突にも見える。
「リュカ殿、落ち着いてください。敵は機械です」
ピエールの言葉に気付かされる。敵は機械だ。感情で動くことはない。と言うことは、予め行動は敵の身体の内部で制御されているようなものだ。完全に突発的な行動を起こすことはないのだと、リュカは改めて敵のキラーマシンの群れを見つめる。考え方を変えれば、その途端に敵の群れの動きが見えてくるような気がした。
キラーマシンの群れ数体から既にいくつか矢が放たれている。しかしその量はさほどではない。敵もまだ、距離を詰めなくてはならないと戦い方を機械の脳で考え、赤い目で距離を測り、矢の攻撃が届く場所にまで前進をしてきている。その距離が詰まれば恐らく一斉に矢を放ってくるのだろう。
「ゴレムス、行けるかい?」
今、リュカたちは挟撃されている状況だ。挟み撃ちしている敵の群れは両側から同じように、距離を詰めてきている。その距離が等しいものとなった時、敵の群れは計算通りにと矢を放ってくるに違いない。リュカはもし自身が敵の群れの指示役だとすればそうするだろうと、こちらも行動に移すことを決める。
ゴレムスはリュカを振り返る。リュカはあくまでも進むのは前だと顔を向ける。そしてゴレムスの大きな身体を包み込むように、防御呪文スカラの呪文を施した。リュカの本心では、味方を盾にするようなことはしたくない。しかしこの場で敵の群れの矢の雨に耐えられるのはゴレムスしかいない。
悩む時間などないと、ゴレムスはすぐに動き出した。ゴレムスが走れば自然と地面が揺れる。大きな魔物が動き出したと、隣にいたグレイトドラゴンであるシーザーもまた追うように走り出した。仲間たちを敵の攻撃から守らなくてはと、ティミーがもう一度スクルトの呪文を唱え、味方全員を守りのベールに包んだ。ゴレムスの身体が更に、硬い鎧を着こんだように、守りを強くし敵の攻撃に備える。
向かう方向にいる敵の群れとの距離が、一挙に縮まる。見えるキラーマシンの群れは二十体を悠に越える。シーザーの後を追って、家族であるドラゴもトリシーもグレイトも、父から離れないようにと地響きを立てながら走る。後ろから迫るキラーマシンの群れは特別速度を上げることもなく、しかし確実に敵であるリュカたちを追い詰めようと道幅いっぱいに広がって押し寄せて来る。その数凡そ十五体。後方の守りの要はアンクルだ。迂闊に敵の矢を受けないようにと、ビアンカ、ティミー、ポピーを守るように悪魔のような羽を広げて低く飛んでいる。
前方からの攻撃が始まった。ゴレムスの身体が強靭な壁となり、リュカたちにはその攻撃は届かない。しかし鋭い矢傷を受けたところから、ゴレムスの身体の一部が剥がれ落ち、地面に落ちる。極力その事態を避けるべく、リュカはもう一度スカラの呪文をゴレムスに施した。
正面に立ちはだかるキラーマシン一体を、ゴレムスは蹴り上げて吹き飛ばそうとした。しかし戦闘のためだけに作られた剣と弓矢を持つ機械兵は、攻撃だけに特化しているわけではない。ゴレムスほどの巨大な魔物の蹴りの軌道を読むのか、正面から蹴りの攻撃の直撃を免れた。耐える機械の足で地面に踏ん張り、弾みをつけてゴレムスに斬りかかる。防御呪文をもってしても、キラーマシンの攻撃を完全に防げるわけではない。ゴレムスの足の石が欠け、地面に散らばる。それを見ても今は、ゴレムスに構うことはできないと、リュカはひらりとプックルの背に飛び乗る。その姿を見て、すかさずビアンカがリュカに補助呪文バイキルトを投げるように放つ。プックルと自身にもスカラの呪文を施し、リュカは敵の群れの中へと突っ込んでいった。あっという間に遠くへと駆け去っていくプックルの後姿へ、ポピーが遠隔呪文で母同様バイキルトの呪文を放った。
もしリュカが、この魔界で束の間共に旅をするようになったグレイトドラゴンを都合の良い存在と考えていたならば、彼ら四体を盾にして前に突き進むことを先ず念頭に置いただろう。しかしリュカの頭には当然のように、そのような考えは思い浮かばなかった。寧ろ人間である自身よりも余程強靭で逞しいグレイトドラゴンですら守らねばならないと、黄金竜の家族の事を慮る感情さえ持ち合わせていた。それを特別考えずともそうと感じるのが、リュカと言う人間だった。
リュカがそのような想いを持てば、その想いは仲間の中へと伝染する。皆がリュカの背中を見ている。グレイトドラゴンの家族はもしかしたら、リュカたちが劣勢となった時には裏切り、再び敵側へと寝返ってしまう可能性もある。しかし旅のリーダーという立場のリュカが、その可能性を頭にも置かず心にも浮かべていない。寧ろこの場所まで共に歩いてくれたことへの感謝すら感じており、その恩に報いるためにもやはりこの巨大な黄金竜たちをも守るのだという意思は、仲間たちの内にも必然と固くなる。
そしてその意思が、グレイトドラゴンたちにも伝わる。これほど小さな人間たちが、仲間の魔物たちが、この中で最も強大な力を持つように見えるグレイトドラゴンでさえも守ろうとするその姿勢に、先ずはシーザーが応える。
リュカとプックルは向かって左側の敵の群れを掻きまわす。さほど広くはない道幅いっぱいを存分に駆け回ることはできないが、それでも敵の群れの塊を穿つように、プックルが突進し、リュカが身を屈めながら剣を薙いでいく。リュカの目的は、敵を殲滅するようなことではない。邪悪な意思を秘めることもなく、ただ戦いに動くだけの機械兵を、無暗に滅ぼそうなどと言う思いは浮かばない。ただ前に進むための道を拓きたい、それだけだ。
シーザーは向かって右側に広がる敵の群れに向かって勢いよく燃え盛る火炎を吐き散らした。赤々と照らされるキラーマシンは当然、機械であるために痛みも苦しみも表さず、見た目にはまるで損傷を負っていないようにも見える。そこは仲間であるゴレムスと似たようなものなのだろう。
父シーザーに続いて、母ドラゴに子供である姉弟トリシー、グレイトも加勢するように燃え盛る火炎を口から勢いよく吐き出した。四体のグレイトドラゴンが吐く火炎は凄まじく、暗いこの魔界の一点を眩しく照らし、離れていてもその炎の熱に肌を焼かれるようだった。
炎の光が収まる中で、ビアンカは敵のキラーマシンの状況を落ち着いて見つめた。固い装甲に包まれた敵の身体だが、どうやら熱にはいくらか弱いのだと、敵の金属の身体の表面が滑らかな照りを見せているのを彼女はその目に捉えた。
「アンクル。私を背中に乗せてくれる?」
今、リュカはプックルと共に行動し、敵の群れの中を集中して駆け回り、少しでも敵の勢力を減らそうと動いている。リュカは恐らく、ビアンカや子供たちを前線に出して戦わせる気はない。それはビアンカ自身もよく心得ている。
「敵は熱に弱いわ。私とアンクルで、後ろの敵を止めましょう」
既に後ろからの敵も間近に迫ってきていた。前方を突破しようとリュカたちが一気呵成に攻め込んでいるが、後方から追いつかれる速度の方が余程速く、後方からの攻撃を免れないのは目に見えている。
「考えている時間はないわよ」
「そうだな」
そう言うと、アンクルはビアンカが背に乗ることを許すようにさっと身を屈めた。ビアンカがアンクルの大きな背に飛び乗る。
「お母さん!」
「ティミー! ポピーを守って!」
「……! うんっ、任せて!」
「振り落とされねぇようにしっかりつかまってろよ」
「落ちてたまるもんですか」
ビアンカが強気を見せるや否や、アンクルは翼を大きく広げて宙へと飛び上がった。しかし決して敵にすぐに見つかるような飛び方ではない。アンクルは見た目にそぐわず慎重な性格だ。グレイトドラゴンの巨大な竜の身体に半分身を隠すようにして、敵の赤い目に捉えられぬようにと注意を払い、後方から追って来た敵の群れの状況を上から見遣る。
後方から迫るキラーマシンの群れの動きは、整っていないものに見えた。リュカたちが攻勢をかけている前方を阻む敵の群れとは異なり、明らかに動きがおかしい。戦闘用の機械兵は恐らく、予め設定があるために隊列を組むような整然とした動きを示してくるはずだ。しかし後方から迫るキラーマシン一体一体の位置は、てんでばらばらだ。初めこそ一列に隊形を作っていたように見えたが、進むに従いその形はあれよあれよと崩れて行ったのだろう。
見れば、最前列を行く、最もビアンカやアンクルたちに近いキラーマシンの身体が、もはや戦闘機械兵の用を為さぬほどに壊れていた。右腕に備えているはずの剣は、肘から先の腕ごと失くなっており、その為に左腕に備わるボウガンへ矢を継ぐこともできない。戦えないキラーマシンが何故か、隊の最前列に立ち、ビアンカたちの方へと進んできているのだ。
「どういうことなの?」
「考えてるヒマはねぇぜ。さっさと始めんぞ!」
そう言うなり、アンクルは両手を前に構えて、勢いよくベギラゴンの呪文を放った。ここまで進んでくる中で、何度か休息を取り、食糧も腹に収めていたために、魔力はいくらか復活している。しかし調子に乗って強力な呪文を放ち続けていれば、あっという間に息切れしてしまうのは目に見えている。アンクルにしても、当然ビアンカにしても、敵の群れを全滅させることが目的ではない。とにかくリュカたちが前を進む道を拓いてくれるまで、後方から迫る敵の足止めをしなくてはならない、それだけが彼らの目的だ。
ベギラゴンの熱に、キラーマシンの群れが押されるように足を止める。最前列にいる壊れたキラーマシンもベギラゴンの熱の前に止まらざるを得ない状況だ。
ビアンカはアンクルの背に乗りながら、マグマの杖を右手に掲げる。杖頭に沸々と沸くマグマに呼応させるように、己の呪文の力をマグマと反応させる。メラミの火炎とマグマが混じり合い、触れるだけで何もかもを溶かしそうな熱の塊に、近くにそれを感じるアンクルが「あっつ!」と小さく叫んだ。
ビアンカが放った岩漿と火球の塊は、最前列にいる敵のその後ろ、弓矢を構えていたキラーマシン目がけて一直線に飛んで行った。敵の鏃がティミー達を狙っていた。ビアンカは敵のボウガンを使い物にならない状態にすることを考えた。全ての敵のボウガンを壊してしまえば、矢による攻撃を完全に防ぐことができる。
「えっ!?」
ビアンカが驚きの声を上げる。標的に定めたキラーマシンの前に、既に武器を持たずに戦いの場に立てないはずのキラーマシンが盾となり、岩漿と火球の塊を腹部に受けたのだ。その光景はまるで、仲間を庇うような行動だ。しかし敵はあくまでも機械であり、感情によるそのような行動は考えられない。実際には、戦えないキラーマシンを盾の如く押し出した後方にいる機械兵の仕業だった。
考えている隙は無い。今度は宙に飛ぶアンクルとビアンカに向かって、敵の矢が向けられた。同時にティミー達にも敵の矢は向けられている。地ではティミーが天空の剣と盾を構え、ポピーをその盾の中に庇っている。そしてポピーもまた休んでいるわけではない。目を閉じ、集中して呪文を唱えている。今にも敵の矢が飛んでくるという中でだ。
アンクルが急旋回する。ビアンカは角に捕まり、身体がぐらつかないようにとアンクルの背中にぴたりとつく。今は子供たちの守りにつく時ではない。ティミーもポピーも、ビアンカの知らない時間を過ごし、その中で二人は幾度もの危機を乗り越えてきているのだ。ティミーの堂々たる立ち姿に、敵に囲まれる恐怖の中でも呪文に集中できるポピーの姿に、ビアンカは子供たちの力を信じた。
道の途中で動きが硬直していたリュカたちが、やや前進を始めた。彼らが前にしているキラーマシンの群れはいつの間にやら更に数を増やし、三十体を越えていた。それでも尚、前に進める力をどう得たのか。
ポピーの集中していた呪文が、敵の防御力を確実に削いでいた。ルカナンの呪文を遠隔呪文で行き渡らせるのに、彼女は多くの魔力を消費した。しかしその甲斐もあり、敵の勢力は一段、弱まったように感じられた。
シーザーとドラゴの吐く燃え盛る火炎の止み間に動く影がある。ピエールが上から吐き出される火炎の淵に身を潜め、炎に熱され弱くなった敵の装甲に間髪入れず攻撃を加えられるよう、常に身構えていた。ピエール自身、決して熱に強い性質ではない。寧ろ緑スライムの身体は熱に弱い。しかし己の身体が少々火傷を負おうともそれに構うことなく、一体でも多くの敵の動きを止めるのだと、機械兵の身体の継ぎ目に狙いを定め、一撃に集中して敵の両腕を切り離してしまおうと剣を振るう。
しかし敵陣の中に斬り込んでいくリュカたちが無傷なままではいられない。戦いの最中であり、集中しているために己が傷を負っていることにも気づいていないだけだった。リュカもピエールも回復呪文の使い手だが、己も仲間も回復している余裕がない。戦いへの集中が途切れた途端に、気を失うほどの怪我を既にリュカもプックルもピエールも、各々負っているのが現実だった。プックルの背に乗るリュカの両足からは夥しい血が流れ、両腕にも己の身を守ったがための傷が多くある。プックルの脇腹にも敵の剣で斬りつけられた痕があり、体毛は血に染まっている。臀部には敵の放った矢が刺さっていたが、己の身体から突き出る長い矢が鬱陶しいとでも言うように、プックルは敵の中を駆け抜ける際に、矢を敵の身体に当てて折ってしまった。ピエールも同様、緑スライムに敵の剣が深く斬り込み、一部削ぎ取られてしまった緑スライムが地面に落ちている。ただ人間やプックルのような獣類の魔物とは異なり、痛覚はそもそも鈍い。それ故に突然事切れる危険もあるために、ピエールはいかなる時でも冷静に己の状態を見るように努めている。が、今は彼にもその余裕がない。
後方から迫る敵の群れが、ティミー達に向かって矢を放ってきた。ティミーは構える天空の盾で落ち着いて敵の矢を弾く。ポピーが隣で息を呑み、一瞬で胸の中が恐怖で埋まりそうになるのを抑える。前方に攻撃力を極端に割き、後方への力が足りないと感じたティミーは、剣を持つ右手に力を込める。宙からはアンクルと母ビアンカが協力して、どうにか敵の群れの動きを留めようと力を尽くしている。しかしそれだけでは足りない。
「ポピー、ゴレムスのところへ」
「お兄ちゃん!」
「大丈夫。無理はしないから」
そう言うなり、ティミーはポピーをゴレムスの方へと手で押しやる。妹が完全にゴレムスの守りに入るまでは無茶はしないというつもりで盾を構えたまま、「早く行け!」とポピーに怒鳴った。ほんのひと時も無駄にはできないと、ポピーは潔くゴレムスの方へと走り去り、ティミーは目の前に迫るキラーマシンの群れと一人、対峙する格好となる。不思議と身体が震えることもない。これが“勇者”のやることだと思い込めば、ただ天空の剣を握る手に確かな力がこもるだけだった。
その時、ティミーの背後に迫る大きな影があった。グレイトドラゴンのトリシーとグレイトだ。巨大黄金竜の子供である姉弟が、まるで心得ているかのような様子でティミーを挟んで並び立つ。彼らはしっかりと、親のシーザー、ドラゴの戦い方をその目に見ていた。敵を徒に死なせることはしないのだと、炎の隙間に動くスライムナイトの鋭く的確な動きも見ていた。そして二体の姉弟はシーザーに吠えられたのだ。“子供を助けてやれ”と。
トリシーが燃え盛る火炎を口から勢いよく吐き出した。シーザーやドラゴほどではないが、それでもグレイトドラゴンという巨大な竜が吐く炎だ。十分にキラーマシンの群れの動きに対峙する力がある。弟のグレイトも姉に倣い、口から炎を吐き出す。二体とも子供であるが故なのか、吐き出される炎は決して長続きするようなものではない。敵の固い装甲を溶かすほどの熱は与えられないようだ。
「ありがとう!」
しかしティミーには子供らしい彼らの動きの方が、合っていた。敵の目を眩ませるだけで十分だと、ティミーはトリシーとグレイトの吐き出す炎の隙間を見て、敵の群れへと近づいて行く。矢が放たれる。天空の盾は特別な力を以てして、敵の矢を弾く。己の施した守護の力スクルトも十分に効いている。今の状態で、敵から即座に痛手を負うことはないはずだと、ティミーはドラゴンの吐き出す炎のベールに隠れながらも、先ずは目の前に迫る一体に斬りかかって行った。
宙を飛ぶアンクルの背から、ビアンカが岩漿と火球の塊を、狙いを定めて放って行く。アンクルは魔力の温存を試み、今は彼女を背に乗せて飛び回ることに集中している。宙へ放たれる矢がアンクルの身体を掠めて行く。当然彼らも、グレイトドラゴンの二体の子供と、ティミーが、戦いの場に加わった光景をその目にしていた。
「アンクル、ちょっとこれ、持ってて」
「あん?」
あちこちに忙しなく飛び回りながら渡されたマグマの杖を、取り落としそうになりながらも左手に受け取るアンクルは、背中の彼女が攻撃の手を止めたことで改めて下に見える敵の群れを見定めた。彼女が攻撃の手を止めている間は自分の番だと、アンクルは容赦なくベギラゴンの呪文を放ち始めた。下で炎を吐き散らしているグレイトドラゴンの子供たちの炎に混ぜることで、その威力を増幅させることもちゃっかりこなしている。
ビアンカは道具袋の中から賢者の石を取り出した。前方にいるリュカたちの状況を細かく見ているわけではない。しかし今は明らかに、前に進む動きが硬直していた。状況が劣勢というわけではないだろうが、仲間たちが傷ついているに違いないのだと、彼女はアンクルの背に必死にしがみつきながらも賢者の石へと祈りを込めた。誰一人としても失ってはならないと、一人一人の顔を脳裏に思い浮かべ、賢者の石の力を解放する。青く澄んだ宝玉から、有無も言わさぬ聖なる光があふれ出し、傷ついた仲間たちのもとへと伸びて、その力が注がれていく。
プックルが勢いづくように、雄たけびを上げた。身体に刺さっていた矢が地面に落ち、傷は塞がる。豹の身体は常に地を駆けている。その背に乗るリュカもまた、己の力に依らない回復の力をその身に感じていた。決して重く感じていたわけではないが、ふっと軽く感じた身体で、それまで自身は重い傷を負っていたこと知った。
ゴレムスが主戦力として、キラーマシンの群れに拳を振るっている。しかし振るうのは常に右腕だけだ。左腕に抱き込んでいるのはポピー。彼女も恐怖に目を瞑ることはなく、この場をどうにか生きて切り抜けねばならないと、ゴレムスの護りの中で彼女にできる役目をこなしていく。
敵の固い装甲が更に剥がされた。ポピーが唱えたルカナンの呪文で、キラーマシンの強みである頑丈な金属の鎧が更にその役目を弱くしていく。ピエールが振るうドラゴンキラーがまるで舞うように敵の金属の身体に切れ目を入れて行く。本来、身体にあるはずのない場所に関節ができたために、キラーマシンの振るう剣は敵であるピエールではなく、あらぬ方へと曲がる。敵の攻撃は正確性を欠いていく。受ける損傷が少なくなり、こちらの動きが無駄に鈍くなることもなくなった。
リュカたちの攻撃を受ける敵の群れが、状況判断をしたように一度、後退した。その分、リュカたちは躊躇いなく前へと進む。狭い道の終わりがすぐそこに見えている。魔界の監視役であろうキラーマシンの群れを突破してしまえば、先に進むことができると希望を持ちつつ、リュカはプックルの背から降り、後退していく敵の群れへと更に押し込んでいった。
幾体ものキラーマシンが既に目の光を失い、道の途中に立ち尽くしている。リュカやピエールが剣で斬り込んだり、プックルが強烈な体当たりを食らわせたり、ゴレムスが巨大な拳や足で攻撃したりで、機械兵は壊れ、戦いから離脱している。今は敵を憐れんでいる場合ではないと認めつつも、リュカの心には無意識の内にも傷が生まれている。
敵は戦いに特化した機械兵だ。戦うことだけをその身に収められた、容赦してはならない敵だ。しかしそんな機械兵を作ったのは一体誰なのかと考えてしまえば、果たしてこのキラーマシンという敵は決して悪者ではないと分かってしまう。動かなくなった敵の姿が目の端に映り込むだけで、戦いの最中にあるというのに、リュカの心の隙間に僅かにも敵への情が生まれてしまう。
「がうっ!!」
プックルが吠える。気づいた時には遅かった。リュカは道の端に待っていた敵の群れの動きを一瞬、見失っていた。まだ生き残っているキラーマシンが五体、連携を取るようにしてリュカを狭い道の端へと追い詰めた。リュカの背後には、途切れた地面を支えるような、暗い靄の景色がある。そこへ落ちてしまえば一体どうなるのか、リュカたちの誰にも、もしかしたら敵であるキラーマシンにも分からないのかも知れない。ただ、助からないことだけは誰にでも分かる。
対峙するキラーマシンがこのままリュカに突っ込んでくるとは思えなかった。位置的には、キラーマシンが道の端に向かって突進してくれば、敵も無事では済まされない。しかし敵の目的はあくまでも、魔界への侵入者の排除。そして機械兵には多くの生物が抱くような恐怖という感情が欠如している。
キラーマシンの行動に躊躇はなかった。五体が一挙にリュカへと突進してきた。己の身が地の底へと沈もうと構わない、という思いすらないのだ。ただ目の前に現れた侵入者を一人でも多く排除しなくてはならないという、見失うことのできない一つの目的のための行動でしかなかった。
迫るキラーマシンの一直線な行動にリュカは、ただ怒りを感じる。キラーマシンに対してでは決してない。この忠実なる機械兵を作り出した者の、透けて見える狡猾な心に対してだ。今はまだやり場のない怒りがそのまま力となり、敵の放つ矢の先さえもその目に見えるようになる。
ドラゴンの杖で矢を弾く。竜神の守りは固い。敵の放つ矢は杖に弾かれると、そのまま砕けた。プックルが助太刀にと、キラーマシンの一体を横から突き飛ばした。しかしそれに返す敵の剣を受け、横腹を切られた。ピエールは目の前に迫る敵の群れに対峙しており、主の危機に向かうことができない。ゴレムスもまた、己がこの場を動けば、前方からの敵の群れを留めることができないと、皆を守ることに注力する。ピエールもゴレムスも、リュカの意志を確かに理解している故に、動けないのだ。とにかくこの場で立ち止まるわけには行かないと。
四体同時に、リュカに剣を振るってきた。避けつつも、腕に肩にと、剣の攻撃を受ける。痛みはやはり分からない。しかしリュカが剣を振るえば、それに合わせて血が飛ぶ。それで自身は傷を負ったのだと分かるが、一瞬の余裕もなく、傷の痛みも感じない今は、己の傷を回復する必要もないとただひたすらに戦う。
痛みの意識はなくとも、人間の身体は生命が脅かされる状況では自ずと、体力が落ちている。リュカは自身を支える足の力が弱まったことにも気づかなかった。戦わねばならないという意識の中では、リュカもまた目の前の機械兵のように、ただ戦うことだけが頭の中を占めていた。
キラーマシンが向けてくる剣を避けるリュカの動きが鈍くなる。アンクルもビアンカも、ティミーもその様子には気づいていなかった。彼らは後方から迫る敵の群れと対峙するので精一杯で、リュカの戦う姿に目を向ける余裕もなかった。ただリュカは絶対に敵に負けはしないと信じ、その思いだけで後方からの敵の群れを、グレイトドラゴンの姉弟と共に留めていた。
プックルが横腹から血を噴きながらも、リュカに迫るキラーマシンを突き飛ばしていく。リュカの逃げ道を作ろうとするプックルの動きが見えていながらも、リュカは前に進む足を踏み出すことができない。素早く力を込めることができない。体力が削られている。
その時、リュカの左前方から一体のキラーマシンが走り込んできた。剣を振り上げるでもなく、ボウガンを構えるでもない。ただ両腕を広げるようにして突っ込んできたのだ。虚を突かれたリュカだが、寸前で身を躱し、避けられると思った。しかしリュカがそう感じると同時に、敵は己の身ごと目的を果たすのだと言うように、リュカと共に敵自らも道の端の外に広がる得体の知れない靄の中へと飛び込んだのだ。
プックルが雄たけびを上げた。道の端に広がる靄の中へ姿を消してしまったリュカを見ていたのは、プックルだけだった。しかしプックルの雄たけびに、誰もが気づいた。この場にリュカがいない。道の端に広がる靄の中へ落ちた。靄の中に何があるのか、誰も知らない。ただそこに落ちてしまえば、もう救い出すことができない。その事に、皆は一様に、時が止まったように感じた。



胃の底から持ち上げられるような浮遊感を、リュカはこれまでにも幾度も感じたことがあった。その瞬間瞬間に、都度死を感じるのは抗いようもない。しかしそのまま素直に従うわけには行かない。
既に視界は暗く、本来であれば靄が辺りに漂っているのかも分からない状況だ。しかしリュカと共に落ちてくる者が今も尚、赤い光を目から発している。その光が靄をすり抜け、リュカの顔を照らしている。リュカはその目に、どうしても同情心を覚えてしまう。
僕だけを落とせば良かったのに。
感情ある生き物であれば、生存本能ある生き物であれば、自分だけは助かろうとする行動が咄嗟に出るものではないだろうか。その違いがやはり、機械に生きると言うことなのだろうか。
落下の速度は嫌増していく。共に落ちるキラーマシンはただ落下の流れに身を任せるだけだ。既に己の任務は果たしたと言ったところだろう。しかしリュカはこの状況になってもまだ、諦めることなどしない。
手の届く場所を落ちるキラーマシンの腕に、武器を持ったままの手を伸ばす。届くと、そのままキラーマシンに己の身体をピタリと寄せる。息が苦しい。落下の速度に加え、暗い靄が充満するこの空気がそもそも息苦しい。大して肺に空気が入っていない状態のまま、リュカは息を詰めると、キラーマシンの身体を支えながら落下する方向へ手を向け、呪文を放った。
バギクロスの呪文が周りの靄を吹き飛ばし、落下先の空気に抗うように空気自体を圧縮させる。落下速度がほんの僅か、弱まる。更に爆発的な真空の渦を下へと向ける。再び落下速度が弱まった。重量のあるキラーマシンの身体を必死に支える。リュカは自分でも何故この敵の身体を支えているのかも分かっていない。しかしもう戦う意思を見せていないこの機械兵を見過ごすこともできなかった。
リュカの起こす爆風とは別に、靄の中を荒す風が上から吹きつけた。上から押し込まれるわけには行かないと、リュカは再びバギクロスの呪文を下方へ向けて放った。キラーマシンの赤い目が光った。その目はリュカを見ているにも関わらず、攻撃の構えは見せない。ただ今のこの時に何が起こっているのかと、どこか不思議そうに目を向けているだけのように見える。
靄の中を飛び込んでくる巨大竜の姿があった。その姿を目にした瞬間、リュカは目の前にマスタードラゴンが現れたのかと思った。そうか、己の役目はここまでだったのかと諦めが脳裏を掠めた瞬間、そう感じた自身に怒りを覚えた。まだ道の半ばだ、終わってたまるかと怒りの表情を向ける先から、黄金竜シーザーが靄の中を突っ切って飛んでくる。落下の先に回り込むシーザーが、リュカが掴んでいるキラーマシンごとその背に乗せ、靄の中を急上昇していく。キラーマシンは今の自分の身に何が起こっているのかを判断できていないのか、赤い目を明滅させたままただ大人しく竜の背に乗せられている。リュカはシーザーの背に伏せるように体勢を低くしつつも、キラーマシンの腕を離さなかった。
靄の中から突き出たリュカが見たのは、仲間たちがキラーマシンの群れの挟撃に追い詰められている状況だった。ほぼ敵の群れを行く手に広がる土地に押し込めていたはずだが、その位置は再び道の中央にまで押し返されていた。リュカとシーザーが戦いの場から一時離脱したために、その隙を敵が詰めてきたのだ。
しかしそれ故に、リュカとシーザーは敵の群れを背後から突くことのできる場所に立った。靄の中から颯爽と姿を現したシーザーの姿を、その背に乗るリュカの姿を、仲間たちは確かに目にした。家族の、仲間の無事を目にして意気が上がらないわけはない。ゴレムスの拳が一体のキラーマシンを蹴飛ばし、退けると、それに乗ずるようにピエールもプックルも再び敵の群れに飛び込んでいく。
反対側からシーザーが燃え盛る火炎を吐き、炎の威力を増すようにリュカがバギクロスの呪文を合わせる。熱に動きを止める敵もいるが、あくまでも敵を倒すことだけを目的に作られた機械兵はすぐさまリュカたちを再び敵と見定め、素早く向かってくる。
敵の放つ矢が、身体の大きなシーザーの横腹に刺さる。しかしそれで攻撃の手を緩めるシーザーではない。そもそも痛覚も鈍く、敵の矢を受けても尚火炎を吐き続けている。リュカの肩にも矢が掠めるが、彼もまた攻撃の手を緩めることはない。
そして今は、キラーマシンの群れと向き合っているキラーマシンも、つい先ほどまで仲間だったはずの者から矢の攻撃を受け、身体を掠めるその衝撃に思わずよろめく。赤い目が、多数の赤い目に凝視されている。仲間だった者たちの多くの赤い目を、リュカが助けたキラーマシンは初めて正面に見て、束の間混乱を来した。キラーマシンである自身を見据える無数にも見える赤い目は、機械兵の脳には想定されている光景ではなかった。
リュカが敵の群れの中へと斬り込んでいく。背中を見せるその人間は先ほど、自身の機械の腕を掴んではいなかっただろうかと、感覚もないはずの機械の腕にその名残を覚える。右手に備わっている剣はこの世界への侵入者へ向けられるものという定義がある。左手に備わるボウガンはこの世界を深くまで進もうとする余所者に対して向けられるという大前提がある。しかしその定めが全て覆ってしまうような光景が今、一体のキラーマシンの目の前に表されている。剣を振り上げても、ボウガンを前に構えても、その標的に人間の男の背が定まることはない。
引き絞ったボウガンから放たれる矢が、キラーマシンの群れの中へと突き飛んだ。群れの中のキラーマシンが矢を受け、地面に膝をつく。ポピーの唱えたルカナンの呪文が大いに効いている。キラーマシンの装甲は当初の固さを失い、今は味方の鏃をその身に受けるほどに軟なものへと変化していた。
味方が力を合わせた挟撃が功を奏し、一気に前へと突破した。総崩れに陥るキラーマシンの群れが雪崩のように押し寄せ、道の端にまで到達する。そしてゴレムスを中心に、プックルとピエールが左右を支えるように、ドラゴが息の続く限りと燃え盛る火炎を吐き、キラーマシンの群れをリュカとシーザーの入る場所にまで押し込んだ。道が開けた。
しかし後から付いてくるはずの家族、仲間の動きが止まっていた。アンクルとグレイトドラゴンの姉弟が壁となり敵の攻撃を防ぎつつ戦い、ティミーが敵の隙に入り込み戦い、ビアンカが呪文で応戦するが、彼らは完全にキラーマシンの群れに取り囲まれていた。それを見てリュカは迷わず、彼らの下へと駆けて行く。
「リュカ!」
「みんな、前へ進め! この道を抜けるんだ!」
「えっ!? でもあっちからも敵が……」
ビアンカもティミーも、アンクルにグレイトドラゴンの姉弟もまた、目の前の敵と対峙するのに必死で、他の状況を見ることができなかったのだ。言われて戦況が変化したことに気付き、道を抜けるために前進することを考えるが、今対峙している敵を抜け出すことができない。
対峙するキラーマシンの群れの中へ、リュカが飛び込む。剣を振るうキラーマシンのその武器を壊すべく己の剣を振るうが、間に立ちはだかる者がいる。それは既に壊れかけているキラーマシンだった。剣を持っていた腕も失くし、ボウガンはただ備えているだけで、矢を放つことはない。戦う術を失っているにも関わらず、この戦いの場から逃げずに、まるで味方の盾のような行動をする敵のその姿に、リュカは思わず振り上げた剣を止めてしまった。
首を矢が掠めた。新たに敵と認められたリュカに、キラーマシン数体が身体を向ける。その隙に、アンクルがビアンカとティミーを抱え、敵の群れを強引に身体で押しのけた。彼もまた羽に背に矢を受け、動きが鈍る。しかしティミーがすかさず回復呪文を施し、難を逃れ、彼らは機会逃さず敵の群れの囲いから抜け出した。
「お前たちも早く向こうへ!」
残るグレイトドラゴンの姉弟トリシーとグレイトにも叫ぶリュカは、瞬く間に矢傷を受け、剣で斬りつけられる彼らに回復呪文を投げつけるように掛け、逃そうと必死に剣を振るう。傷の回復で体力を取り戻したグレイトが逃げる瞬間を逃さぬように羽ばたいた。続いて姉トリシーもまた羽ばたき、その手にリュカを掴もうとする。しかしトリシーの手に敵の矢が突き刺さり、その痛みに耐えかねたトリシーはリュカを取り落としてしまった。
「いいから早く行け!」
振り返る余裕もない。リュカは敵の群れの動きを止めるためにバギクロスの呪文を放つ。ただの足止めだ。しかし魔力の切れかけているリュカの呪文は既に強さを失っている。敵の群れは大嵐の中を掻い潜り、リュカの立つ場所へと姿を現す。
ぬっと現れたのは、武器を持たないキラーマシンだ。彼は味方であるはずのキラーマシンの群れに圧されるようにしてバギクロスの暴風の中を突き進んできた。自ら味方の盾になっているわけではない。もう役に立たないと見定められた彼は、味方であったはずのキラーマシンの群れに盾として利用されているのだ。その赤い目にリュカは、まるで戦意を感じられなかった。仲間を守るという意思があるわけでもない。ただの攻撃避けの壁として容赦なく使われているだけの壊れたキラーマシンを見て、リュカは再びの怒りを感じた。
機械兵にプログラムされている能力の中に、戦えなくなった仲間があればそれは盾として使い、盾としても使えなくなればそのまま打ち捨てろという命令が組み込まれているのだろう。そのプログラムを組み込んだのは誰なのかと考えれば、それは即ち目の前の機械兵が悪者ではないという考えに行きついてしまう。そしてリュカに戸惑いが生じる。
魔力が切れる。バギクロスの呪文が止んだ。キラーマシンの群れが一挙にリュカへと押し寄せる。リュカは剣を構える。彼の後ろから、敵の群れから抜け出していたトリシーとグレイトが揃って火炎を吐き、キラーマシンらの動きを止めようとする。その激しい火炎の勢いを一身に受けるのは、傷ついて使い物にならないと見捨てられた一体のキラーマシン。その装甲が火炎の熱に溶けていく。仲間だったはずの一体のキラーマシンを盾にして、使えるものは最後まで使い切らなくてはならないと、他のキラーマシンらはその後ろに隠れ、機会を窺っている。溶けて行く仲間には目もくれない。
リュカのやるせない怒りが体中に満ち、それは左手に握るドラゴンの杖に伸びる。杖頭の竜の目が怪しく光る。竜神を模した神々しいはずの杖が、リュカの手ではまるで悪魔の力を宿したように不吉を見せた。
闇から姿を現したかのような、黒竜が、咆哮を轟かせた。敵も味方も、皆が束の間動きを止めた。ポピーが叫ぶ。ティミーが黒竜の下へと駆け出そうとするが、アンクルに止められた。
巨大な黒竜となったリュカが暴れ始めた。目の前にいる機械兵の群れに、容赦ない攻撃を加え始める。敵に剣で斬りつけられようが、矢で身体を射られようが、お構いなしだ。キラーマシンの群れを大きな足で踏み潰し、掴んだ敵の剣でもボウガンでも腕でも足でも何でも、力任せに引きちぎってしまう。そして掴んだ敵をそのまま葬り去るかの如く、道の端に満ちる靄の中へと投げてしまった。
「あ、あれが……リュカ?」
破壊の神というものがいるならば、例えばあのような姿なのかもしれないと、ビアンカはそのように感じながらも夫の名を口にした。しかしあれが紛れもなく夫リュカであることも、ビアンカは確かに認めていた。彼がこれまで経験してきた様々な絶望を、ビアンカは幼馴染として、妻として、誰よりも親身に想像することができた。普段は温和でしかない彼だが、それは彼が意図せずとも己の感情を内に込めて秘めているだけなのだと、ビアンカは分かっている。
「リュカ! あなた、そんなことをしたいわけじゃないでしょ!」
「嬢ちゃん、危ねぇから行くな!」
黒竜へと姿を変じたリュカの元へと向かおうとするビアンカを、アンクルが引き留めようとする。しかし既にアンクルに捉えられたティミーが今にも抜け出そうとするのを抑えるために、ビアンカにまで手が回らない。彼女は逸散に黒竜の下へと駆け出した。
その間にも黒竜となったリュカは狂ったようにキラーマシンに攻撃の手を加えて行く。二体目、三体目と、キラーマシンの身体が宙を飛び、靄の中の地下奥深くへと消えて行く。先頭で盾の役目を負っていたキラーマシンの姿は既にない。人間のリュカが憐れみさえ抱いていたその敵は、黒竜となったリュカの手によって既に靄の中へ葬られていた。
その間にリュカもまた敵の攻撃を受け、黒竜の足に腹に背中にと、敵の放った矢が突き刺さっている。両足を剣で斬りつけられ、実際には傷の深さ故に動くこともままならないほどの状態に陥っている。黒竜の足元には既に血だまりができているような惨状だ。
黒竜の尾が地面に着いている瞬間を逃さず、ビアンカは尾の上に飛び上がり、伝って上って行く。二人の母となっても、幼少時からのお転婆は健在だ。木登りは得意だった。滑らかな肌をした木よりは余程登りやすいと、ビアンカは黒竜の固い鱗に手をかけ足をかけ、上へ上へと登って行く。
「リュカ! 止めなさい!」
坂道となっていた黒竜の背を登り切ったところで、ビアンカは黒竜の肩に寄り、大声で怒鳴った。怒りに我を忘れ、キラーマシンの群れを殲滅せんとしていた黒竜は、己の背を登り切った妻にその声でようやく肩に寄る存在に気付いた。大きな口からは収まりきらぬ炎が漏れ出ている。間近に感じるその熱にも、ビアンカは怯まずに呼びかける。
「こんなこと、あなたが一番望んでいないはずよ!」
そう言いながらビアンカは黒竜の大きな目をじっと見つめた。漆黒の瞳は竜と姿を変えても変わらない。彼女は石の呪いを受け、完全とも言える暗闇の世界に閉ざされていた時間も、その暗闇に夫リュカの瞳を想い、生き抜いてこられたのだ。黒竜の姿に変じても、敵の群れを凶暴に打ちのめしても、変わらぬ漆黒の瞳の中にビアンカはリュカの根本を見つける。彼女にはそもそも、黒竜が黒竜の姿として映っていない。彼女の水色の瞳に映るのは、いつもと変わらぬリュカの姿だ。
黒竜は己の肩に留まる小さな存在に向かって、己の肩を焼くにも構わず、口から炎を吐き出そうとする。ビアンカは迫る炎に敢えて近づくように飛びつくと、黒竜の鼻の上へと飛び乗った。直後に炎が飛び出し、その熱に黒竜自身の肩が焼かれる。それでも痛みに顔をしかめることもなく、今度は手を振り上げ、鼻の上に飛び乗った人間の女を掴もうとした。
しかし突如、黒竜の身体が傾き、リュカの両膝が地に着いたのだとビアンカには分かった。足元では残るキラーマシン四体の総攻撃を受け、深手を負っていた。もう黒竜の足が立たなくなった。痛みを感じていなかった黒竜だが、その傷の深さに確実に命を削っていた。
黒竜の鼻先に身を乗せながら必死にビアンカが手にするのは、賢者の石だ。リュカと彼の仲間たちの身を案じ、彼の母マーサが授けてくれた貴重な宝玉だ。ビアンカは彼の傷を癒そうと、その青い宝玉を手にしたのではない。彼に、目的を見失うなと示すために、彼女は賢者の石を大きな漆黒の瞳に映るよう、高々と掲げた。
「お母様を助けるんでしょ!」
青い宝玉が強く輝く。癒しの力が噴き出る。しかしその力が黒竜の大きな身体に及ぶ前に、ビアンカは手にした賢者の石を右手に振り上げ、黒竜となったリュカの鼻頭を思い切り叩いた。黒竜の目が驚いたように瞬く。
「いくら敵だからってこんなにヒドイことするリュカなんて……キライよ!」
賢者の石から湧き出る癒しの力が、黒竜のリュカの身体を包んでいく。再び地に両足をついて立ち上がったリュカは、今も足元に群がるようにいる四体のキラーマシンを敵とみなし、鋭い視線を向ける。しかし同時に、漆黒の瞳の端に一人の女の姿が映り込んでいるのを見過ごせない。たった今、忘れかけていた想いを思い出させてくれた。
リュカは足元を斬りつけるキラーマシンの群れに、身体を半回転させ、尾を振るった。四体全てが黒竜の尾の攻撃を避けようと、一度後退する。そこにリュカは再び尾で何度も地面を打ちつけ、キラーマシンの群れを己に近づけさせないことを試みる。直接、攻撃は加えない。リュカは本来、敵と戦うことを好まない。戦わずして事が済むのならそれに越したことはないと考えるのが、リュカの本心だ。その本心を誰よりも信じてくれているのが、妻ビアンカだ。今、ビアンカは黒竜リュカの眉間近くに身を寄せている。心ごと寄り添っているのを感じる。
一度後退したキラーマシンの動きを見て、リュカは尾を高々と振り上げ、思い切り地面に向かって振り下ろした。凄まじい地響きが起こり、その音はビアンカが一時的に聴力を失いかけるほどだった。靄の中に浮かび上がるような彼らの立つ道に、亀裂が走る。黒竜リュカとビアンカと、向こう側へと後退したキラーマシンの群れとの間の道に地割れが起こり、道がそこで断絶した。がらがらと音を立てて崩れる地面に飲み込まれないよう、黒竜リュカはビアンカを落とさぬように翼をはためかせ、宙に飛びあがったかと思うと、そのまま仲間のいる道へと降り立った。断絶された道の向こう側に残された四体のキラーマシンは攻撃の届かなくなった敵への攻撃を諦めると判断したようで、そのまま道の向うへと引き下がって行った。
対峙していた敵の群れも下がり、胸や頭を占めていた怒りも収まれば、黒竜の姿はみるみる小さくなり、元の人間の姿へと戻って行く。そのまま地面に倒れてしまったリュカの傷は深く、到底自身の力では立てないほどに両足は真っ赤に染まっていた。矢を受けていた腹部にも血の痕が残り、賢者の石の癒しの力を受けても尚、出血が完全には止まっていない。ビアンカは気を失ったリュカのすぐ傍に膝をつくと、今度は彼の傷を癒すことに集中して、賢者の石に念じた。
まだ戦いは終わっていない。前方には今もまだ、キラーマシンの群れがしぶとく立ち塞がっているのだ。こんなところで倒れている場合ではないと最も強く思っているであろう夫に呼びかけながら、ビアンカは震える両手で握る賢者の石に強い念を送る。彼の無事を最も願っている人の想いを受け取る如く。

Comment

  1. ケアル より:

    bibi様。

    す…凄まじい戦い…まさに戦火を交えて!
    戦闘BGMが頭の中でリピートしておりますよ。
    雑魚戦でここまで苦戦したのはボブルの塔のホークブリザード戦。
    https://like-a-wind.com/text37-2/

    もしくは、チゾットへの山道のデッドエンペラー戦。
    https://like-a-wind.com/text26-4/

    もしくは、ヨシュアに助けて貰って樽の中からの修道院に向かう時、最後に戦った魔物…マーマン?マーマンダイン?との戦い。
    https://like-a-wind.com/text6-3/

    キラーマシン戦もぎりぎりの戦いでドキドキしました。
    リュカのドラゴンの杖からのドラゴラム…bibi様? ちょっと忘れてしまっていますが、なぜリュカのドラゴンの杖の効果を我を忘れた怒りドラゴン設定になったんでしたっけ?(汗)
    マスタードラゴンの呪いみたいなもん?
    リュカのおくにある悪の心みたいなもん?
    どこかで描写していたかと思うんですが忘れています…なぜだったでしょうか?(汗)

    シーザーたち完全に仲間になりましたね。 今後シーザーを含め9人パーティにしちゃいましょうか?
    キラーマシンも仲間になりそうな勢いですね。 ゲームではたしか…はぐれメタルなみに仲間になりにくい仲間モンスターでしたよね。

    魔界との戦闘、やはり、メラゾーマ、イオナズン、ギガデインを使えていない現状ではbibiワールドのリュカたち、戦力不足は否めない!
    果たしてジャハンナに到着できるのか!?
    そして次回はまだまだキラーマシンとの戦い、そして瀕死のリュカは目覚めるのか?
    今後リュカのドラゴンの杖からのドラゴラムをリュカ自信が我を忘れなくなる時があるのか?
    次話を夏休みに入る前にどうかお願いします(願)

    • bibi より:

      ケアル 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      通常の戦闘でここまで書くのはどうなのかと思いつつも、魔界に入ったのでこれくらいの戦いはザラになっちゃったよという印象で書いています。誰も死なずに最後まで行けるのかしら……。ドラゴンの杖は、どうなんでしょ。リュカが怒りや憎しみで我を忘れた時、というような感じかな。グランバニア襲撃の際に一度、ドラゴンの杖の力を解放しましたね。あの時もピピンの父パピンが倒れて、と言った状況だったかと。

      シーザーたちは完全に仲間になったような感じですが……さてさて。キラーマシンも今後どうするか、これから詳しく考えます(汗)

      次話をなるべく早くに、そうですね、子供が夏休みに入る前にはもう一つお話を上げたいところです。ほどよいプレッシャー、大いに感謝です。頑張ります! あと1週間以上はある……。

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