2017/12/03

変わり果てた村

 

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翌朝、まだ辺りが薄暗い時間に起き出したリュカは、白馬の隣で東の方角を見つめるヘンリーの姿を見た。朝靄がかかり、灰色の景色の中にたたずむヘンリーは決して朝日を眺めているわけではなかった。雨の降る音は一晩中止まず、分厚い雲に覆われた空に太陽が出る気配はない。夏に向かって葉を増やす木々が屋根代わりとなり、かなり雨は凌げたが、それでも外にたたずむヘンリーは雨に濡れているはずだった。
「ヘンリー、どうしたの、風邪ひくよ」
リュカの声に驚いた様子のヘンリーが、素早く馬車の荷台を振り向いた。馬車の荷台から顔を出しているリュカを見て、ヘンリーは「何でもない」と小さく言うと、リュカのいる荷台に向かってきた。
「今日はお前が馬に乗れよ。俺は後ろで休んでる」
リュカを押しのけるようにして荷台に乗ると、ヘンリーはそのまま大の字に寝転んだ。馬車の荷台はリュカやヘンリーが伸び伸びと寝転んでも余るほどに広い。そんな広い荷台の上に、二人の荷物が申し訳程度に載っている。男二人旅でこれほどの大きな馬車を使うことに、二人は今になって違和感を覚えていた。
「僕たちだけじゃ寂しいね、この馬車」
「これからお前の故郷に向かうんだ。お前の知り合いで一緒に旅してくれそうな奴がいるかも知れない」
ヘンリーにそう言われ、リュカはサンタローズの村にいるはずのサンチョを思い出した。もう十余年もの間、パパスとリュカは行方不明のままだが、サンチョはあの家にいるはずだという確信がリュカにはあった。父と二年の旅を終え、サンタローズに帰ってきた六歳の時も、サンチョは当然のようにサンタローズの家で二人を待っていた。その時、リュカはサンチョのことを覚えていなかったのだが、家で待つサンチョが父と自分にまるで家族に向けるような頬笑みを向けてくれたのを覚えている。その瞬間に、サンチョに対する信頼が胸の内に自然と沸き起こった感覚を、今リュカは思い出していた。
「サンチョならきっと、僕たちと一緒に旅に出てくれるに違いないよ」
「誰だ、そいつ」
「父さんの友達、だったのかなぁ」
「なんだ、知らないのか」
「そうだね、サンチョが誰かだなんて、考えたこともなかった」
リュカの記憶の中のサンチョは、美味しい食事を作ってくれて、限りなく優しくて、抱き上げられるとふわふわして暖かかった。父のことを『旦那様』と呼んでいたことを思い出すと、友人と言う関係も当たっているようには思えない。だが当然のようにリュカ達と同じ家に住み、家事をこなし、リュカに誕生日プレゼントを買ってくれたりもした。
そんな話をヘンリーにすると、彼は疑わしげにリュカを見る。
「そのサンチョってやつ、実は女だったんじゃねぇの?」
「いや、それはないと思うよ、口髭も生えてたし」
「どういうことなんだろう。でもその人に会えたら、お前の親父さんのことも色々と聞けるかもな」
「サンチョは父さんから色んなことを聞いてるはずだよ。もしかしたら母さんのことも聞いてるかもしれない」
「実はそのサンチョってやつがお前の母さんだった、って言うのが俺の希望だけど」
「だから、それはないって」
リュカは自然と笑いながらヘンリーの言葉をやんわり否定する。サンタローズの村がもう目と鼻の先まで迫ってきていることに、リュカの気分が高揚する。
白馬の隣まで歩いてくると、リュカはその長い首にそっと手を当てた。もう出発の準備を調えていた白馬は、首を下げて『背に乗りなさい』と合図をしてくる。リュカは早くサンタローズに着きたい一心で、迷わず騎乗した。白馬は心得たようにひとりでに歩き出し、リュカは手綱を持ったまま、故郷とも呼べるサンタローズの景色を脳裏に巡らせた。
一番鮮明に残っていた景色は、サンタローズの村を外から見た景色だった。父とサンタローズに向かう途中、遠くから発見したサンタローズの村は、赤茶色の景色だった。村の建物の屋根が統一されたように赤屋根だったのだ。自然の緑や空の青の景色の中に、ぼんやりと赤茶色の景色が見えた時、リュカは子供心に興奮したのを覚えている。何か新しいものを発見した時の興奮が、今のリュカの胸にもありありと蘇る。
今もまだ雨が降り続く空は青色とは行かなかったが、それでも村の赤茶色の景色は遠くからでも分かるはずだ。リュカは荷台に乗るヘンリーと方角を確認しながら、なるべく心を落ち着けて馬車を進めていった。



しとしとと降り続く雨を避けるため、リュカは森の中に馬車を進めた。分厚い雲に隠された太陽は、その位置がはっきりとは見えない。リュカは森の中で迷わないように、急ぐ心とは対照的に、時折馬車を止めて位置を確認しながら慎重に進んだ。
時刻としては恐らく昼過ぎ、リュカは一度森を出て、見晴らしの良い草原地帯から辺りを見渡した。そろそろサンタローズの村が見えるかと思い、霧雨の中、すぐ近くも霞むような白い空気の中を縫うように目を凝らした。そんな様子のリュカを見て、荷台を下りてきたヘンリーも同じように辺りの景色を注意深く眺める。
「おい、あれは何だ。あそこに何かあるぞ」
ヘンリーが指差す方向に、確かに自然のものとは思えない何かが見えた。しかし白い雨の景色に混じっても、赤茶色の屋根の景色は微塵も見えない。何か人間の手が加えられたものがそこにあるのは間違いなさそうだったが、リュカの期待するサンタローズの景色ではなかった。
だがその一方で、リュカはその背景にある山々の景色を見遣った。山々に囲まれ守られるようにあるその全体的な風景を見ると、まるで昨日見たラインハットの関所を見たような既視感に襲われる。細かな雨にけぶるぼんやりとした風景だが、リュカはしばらくその場で風景を見ながら立ちつくしていた。
「とりあえず行ってみようぜ。方角的には間違ってないはずだ」
「そうだね、誰かがいれば、そこでサンタローズがどこにあるかも聞けるかも知れないし」
リュカはそう言いながらも、今目にしている風景がサンタローズの村なのだと、心のどこかで直感していた。ただ幼い頃に見た景色とは全くと言っていいほど異なっている。それも、オラクルベリーの発展を考えれば、この十余年の間に一つの村が変貌を遂げることも決して珍しいことではないと、納得しようとした。
一方で、オラクルベリーの町で出会った旅の戦士の言葉を思い出す。北に寂れた村があったと、彼は言っていた。リュカの記憶ではサンタローズが寂れた村だという印象は微塵もない。オラクルベリーやアルカパの町ほどではなかっただろうが、村には元気があったはずだ。幼いリュカが村の中を一人で散歩していると、村人たちは暖かい目で見守り、リュカが物を尋ねれば親切に教えてくれた。旅の戦士が言っていた『寂れた』という言葉が、リュカの頭の中にずっと引っかかっている。
リュカは再び白馬にまたがり、馬車を進め始めた。白馬はリュカの不安や動揺を微かに感じ取りながら、ゆっくりと足を前に出していく。雨は降りやまず、しかし強まることもなく、ただしとしとと静かに降り続けている。
細かな雨で白くなっている景色の中に、人工的な建物の影が徐々に大きく見えてきた。人工的とは言え、それらは整えられた形には見えなかった。村の家々が不規則に並ぶ様子には、まだ規則的な景色がある。しかし目の前に迫る景色には何の規則性も見出せなかった。何か、人ではない手が加わっているような、村にしては不自然さを感じた。
リュカは認めたくないと思いながらも、旅の戦士が口にしていた『寂れた村』という表現が合っていることを遠くからの雰囲気でも感じた。果たして寂れたという表現ですらも、実情に追いついていない心やさしい表現だったのかも知れないと、その景色に近づくにつれ、リュカの不安は増していった。
目指す場所が目と鼻の先に迫ると、リュカは辺りに異臭が漂うのを鼻に感じた。顔をしかめ、辺りを見渡すが、外の景色に妙なものがあるわけでもなく、魔物が近づいているわけでもなかった。馬車の荷台でヘンリーも眉をしかめつつ、幌から顔を出して辺りを見回している。リュカはその臭いに、幼い頃の記憶の一部が蘇るのを止められなかった。
ラインハット東の遺跡に向かう途中、プックルが毒の沼地に落ちたことがあった。溺れかけるプックルを助けようと、リュカも沼地に足を踏み入れて助け出した時の記憶が、辺りの異臭をきっかけとして蘇ってきた。しかし外の景色に毒の沼地があるわけではない。リュカは心の中で拒否をしながら、村の中から漂ってくる異臭を無視しようとした。
村の入り口を前に、異臭の原因を嫌でも目にした。村に入る手前で、人々が生活する村にはあり得ない毒の沼地が泡を吹きながら地面に広がっていた。ヘンリーは服の袖で鼻を押さえながら歩いていたが、リュカは目の前の現実に圧倒され、もう鼻に異臭を感じなくなっていた。
村の入り口には木製の門があるはずだった。パパスとサンタローズの村に戻った時、その門を見上げながらくぐった覚えがあった。しかし旅人を迎え入れるはずのその門は、見当たらない。門があったはずのところには、代わりに朽ちた木板が雨に濡れている。
白馬を降りたリュカは、そのまま白馬を野放しにした状態のまま、村らしき場所に足を踏み入れた。ヘンリーも「お前は逃げたりしなそうだな」と白馬の長い首をぽんぽんと叩くと、馬を繋ぎとめておくこともなく、リュカの後を追って村に入って行った。
村の様相が変わってはいても、地形が変わっていることはなかった。十年余り前の記憶だが、リュカは自然と村の入り口を入ってすぐの階段を上った。今ではもう階段とも呼べないほどに形が崩れていたが、わずかなでこぼこに足をかけて、斜面を上って行く。上った先には村の宿屋があるはずだった。かつてビアンカと彼女の母親が泊まりに来ていた宿屋だ。妖精のべらのイタズラのおかげで、宿屋の主人に宿帳への落書きを疑われたこともあった。
階段を上った先に、宿屋の建物はなかった。あったのは、建物があったという痕跡だけだ。何か強大な力で打ち壊されたように、宿屋の建物は壊れていた。屋根も壁も窓も、中にあったはずの宿屋のカウンターも、めちゃくちゃに壊れていた。宿屋の建物のすぐ近くには畑があり、季節により様々な作物を植えていたが、まるで人間の営みを妨害するような毒の沼と化していた。
雨が強くなってきた。容赦なく身体を打つ雨に、二人は何も感じないように、呆然とその場で立ちつくした。
「ここがお前の故郷なのか、リュカ」
ヘンリーが小さく呟くのを聞きながら、リュカは首を縦に振ることもできなかった。脳裏に浮かんだ言葉は『廃墟』。目の前の村の景色は紛れもない廃墟の姿だった。
サンタローズの村の人口は初めよりそれほど多い方ではなかった。村としての集落が成り立つほどの、ごく小さな規模だった。しかしリュカとヘンリーはまだサンタローズの村に入ってから、一人も人間に会っていない。二人がここを廃墟と容赦なく感じたのも、まだ人と会っていなかったからだった。
「あの旅の戦士はこの村をちゃんと村って言ってた。どこかに人がいるはずだよ」
リュカは希望を捨てずに、村の中を歩き始めた。行き先は決まっている。かつて自分の家があった場所だ。
早くこの眠りから覚めたい、一体いつまたあのお化けキノコに眠らされたんだろうと、リュカは自分が悪い夢を見ているものだと半分信じ、半分は信じていなかった。信じないにはあまりにも顔に当たる雨が冷たい。信じるにはあまりにも衝撃的で、想像もしていなかった光景が目の前に広がる。どちらが正しい感覚なのか、考えないままリュカは無心に足を進めた。
壊れた宿屋の前を通り過ぎ、村の中に流れる川を渡る橋を見つける。幸い、橋は壊れておらず、向こうに渡ることができそうだ。しかし破壊の跡は橋の上にも及んでいる。子供の頃のように走って渡ろうものなら、その衝撃で自分ごと川に落ちてしまいそうなほど、脆くなっていた。早く自分の家を確かめたいと逸る気持ちを抑えて、リュカは慎重に橋を渡った。続くヘンリーも辺りに険しい目を向けながら、リュカの後を追う。二人で言葉を交わしながら、村を散策する気には到底なれなかった。
橋を渡った先にはかつての武器屋が、やはり破壊された状態でそこにあった。まだ建物だったという名残は見られる。壊されて半分ほどなくなっている壁には、年月を伝えるような苔が生えていた。今は雨に濡れ、苔だけはその恵みを受けているように見えた。
武器屋のところを北に向かえば、かつての自分の家だ。リュカはそう考えた瞬間、急に恐怖を感じた。村の建物は軒並み破壊され、原型をとどめていなかった。自分の家が無事だという保証はどこにもない。父とサンチョと過ごしたあの暖かな家がもし破壊されていたらと考えると、リュカの足は竦んだ。
「おい、どうしたんだよ。戻るのか?」
ヘンリーの声を後ろに聞きつつも、リュカは返事をしなかった。本当に向かいたい場所は橋の向こうだ。しかし口実をつけてでも、今は自分の家に向かいたくなかった。
「宿屋の裏手から教会に行けるんだ。旅の基本でしょ、教会でお祈りをするのって」
村の様相には似合わない明るい声で言うリュカに、ヘンリーは何も言葉を返せなかった。振り向きもしない雨に打たれるリュカの後ろ姿を険しい表情で見つめながら、ただ無言でついていく。
宿屋の裏手には川に下りる階段がある。雨にぬかるむ土肌の階段を滑るように下り、雨で流れの速くなっている川を渡す小さな橋を渡る。教会にほど近いこの橋には、さほど破壊の跡が見られなかった。その様子に気づいたリュカは、もしかしたらサンタローズの村を襲った何かは、村全体を破壊し尽くしたわけではないのかもしれないと思った。自分の家が何事もなくかつてのようにあることを願いつつも、今はそちらに足を向けようとは思わなかった。
村の教会は、まるでその場所だけ切り取られて避難していたかのように、昔の姿をとどめていた。その姿に、リュカの心も避難することができた。この場所にいれば、悪夢の続きを見なくて済む。夢から覚めるまでは、この場所を動かない方が良いのかもしれないと、リュカは破壊された村の景色から逃げるように、教会の扉を開けた。
雨雲に覆われた空は、夜とまでは行かないが、相当に暗い。陽の光の差しこまない教会の中も、当然のように暗かった。しかしそこには人の温もりを感じるような火の明かりが灯っていた。教会内部を頼りなくも温かく照らすその火の明かりに、リュカもヘンリーもほんの少しだけ心が安らぐのを感じた。
祭壇奥の暗がりの中に十字架が見えた。祭壇の前には整然と長椅子が並べられている。その間にリュカは人影を認めた。その人影もリュカ達のことを窺うように見つめている。その目はどこか怯えているようにも見えた。
互いに何も言葉を交わさず、しばらくそのまま立ち尽くしていた。しかし教会に訪れた二人の雨に濡れた様子を見て、長椅子の間に立っていたシスターは一度奥の部屋に戻り、タオルを持ってきた。
「一枚しかありませんが、これで身体を拭いてください。風邪をひきますよ」
リュカやヘンリーよりはいくつか年上のシスターが、優しい声で二人に話しかけた。その雰囲気に二人とも気が抜けたように、長椅子にどさりと腰掛けた。シスターも本来のお仕事をと、リュカの隣に腰掛ける。
「あの、旅の方ですか?」
彼女の静かな問いに、リュカは小さく首を縦に振った。教会内部にはいくつか小さな明かりが灯っているが、三人の座る長椅子にはあまり届かない。しかしリュカは、その女性の横顔を見て、幼い頃の記憶の一部が引き出されそうになる感覚を覚えた。
「旅でお疲れのようですね。ここは何もないところですが、どうぞ休まれて行ってください」彼女の言葉の中には、嫌でも悲哀を感じた。教会こそ無事なまま残されているが、サンタローズの村に何かが起きたのは疑いようもない。まだ村の一部にしか足を向けていないリュカは、聞きたくないと思いながらも、村人の一人である彼女に問いかけずにはいられなかった。
「何があったんでしょうか」
端的なリュカの問いかけだったが、シスターは心の準備をしていたようで、一度息をついただけで、さして間を置かずに静かに語り出した。
「その昔、ここはとても美しい村でした」
シスターのその一言で、リュカは幼い頃目にしたサンタローズの村の景色を思い出した。子供の頃は何とも思っていなかった村の景色だが、それが失われた今となっては、村の全てが美しい景色だったのだと思い出すことができる。村の景色はいつでも、太陽と青空と共にあったようにさえ思えた。それほどに、子供の頃の思い出は光に満ちていた。
「しかしある日……」
彼女はそこで言葉を止めた。顔に苦痛の表情が浮かんでいる。昔の姿とは一変してしまったサンタローズの村を見れば、彼女の苦痛も想像できたが、リュカはただこの村に起こった事実を知りたかった。何を言われても恐らく、納得したり理解できるものではないのは分かっている。思い出ごと踏みにじられてしまったようなものなのだ。
彼女が言葉を続けるのを、リュカは見守るように待った。リュカの隣に座るヘンリーも、短気に急かすようなこともなく、同じように黙って待っている。
「ラインハットの兵士たちが、村を焼き払いに来て……」
リュカとヘンリーの呼吸が、同時に止まる。予想していない彼女の言葉に、二人とも自分の耳がおかしくなったのかと思った。今はサンタローズの村がどうなったかを聞いているのだ。ラインハットという言葉が出てくるわけがない。
「ひどい! ひどいわ! パパスさんのせいで、王子様が行方不明になっただなんて!」
当時の惨劇を思い出し、シスターは身を震わせながら、かすれた声で小さく叫ぶ。もう十年ほど前の記憶になるのだろうが、彼女は今目の前で起こっていることのように怯え、怒り、憎しみの感情を吐き出した。
教会の屋根を叩く雨音が、大きくなってきた気がした。決して寒い季節ではないが、急に寒気を感じる。かと思えば、今度は身体の中に熱が沸き上がり、顔が熱で膨れそうな感覚を覚える。まだ整理のつかない感情が、リュカの腹の底から次々と沸き起こってきた。感情に整理をつけようと思っても、知っている言葉が頭の中を駆け巡るだけで、何もまとまりはしない。
ラインハット、パパス、王子、行方不明。その四つの言葉だけで十分だった。ラインハットと言う国があり、パパスという人間がおり、王子が行方不明になった、それらは紛れもない事実だ。しかしそれらと、村が襲撃を受けたことが、リュカの頭の中では結び付かない。父が原因で村が滅ぼされたなど、事実として聞かされても、リュカには到底信じられないものだった。
二人の旅人が黙りこくってしまったのを見て、シスターが我に返った。目の端に滲んでいた涙を袖で拭き、落ち着いた様子を取り戻してリュカに笑いかける。だがその笑顔はやはりぎこちない。
「あら、ごめんなさい。あたしったら急に取り乱したりして。見ず知らずの人にパパスさんの話をしても仕方なかったですわね」
「……見ず知らずなんかじゃない」
ヘンリーがぽつりと呟くのを、シスターは聞き取れなかったように首を傾げた。しかしヘンリーはそれ以上言葉にするのも怖いかのように、口を閉ざしてしまった。
リュカは確認する必要はないと思いながらも、どうしても一度、彼女に確かめたかった。
「あなたは今、間違いなく『パパス』と言いましたよね」
「パパスさんを知ってるの?」
通りすがりの旅人がパパスを知っていることは、ないわけではなかった。パパスは長年、幼いリュカを連れて世界中を旅していたのだ。その先々で、多くの旅人に会っているはずだった。
シスターの声の響きは、どこか嬉しそうな雰囲気を醸し出していた。見ず知らずの旅人がパパスを知っているというだけで、どこか誇らしい気持ちになっているのだろう。それは幼い頃のリュカが、しょっちゅう感じていた感情と似ていた。
「パパスは、僕の父です」
大した灯りも届かない長椅子に座りながら、リュカはシスターの顔を見てそう言った。シスターは初め、目の前の青年が何を言ったのか分からない様子だった。パパスを父と呼ぶ目の前の青年の存在が、彼女の記憶の中から欠け落ちていた。
しかし暗がりの中でリュカのことをまじまじと見つめるシスターは、徐々に昔の記憶や村の風景を思い出していく。確かに、パパスには息子がいた。二年ぶりに帰郷したパパスは、傍らに五、六歳になる息子を連れ、手を引いていた。まだほんの子供だったパパスの息子と、この教会の前で話をしたこともあった。
教会内の弱々しい灯りが、シスターと青年の顔を揺れるように浮かび上がらせる。まだあどけなさの残る青年の顔つきに、幼い頃のパパスの息子の顔が自然と重なる。シスターは息を呑んで、口に手を当てた。
「あなたの父親ですって? そんな……。でも確かにあの時の坊やの面影が……」
「僕、あなたのことを覚えています。僕が村にいたあの時から、この教会でシスター見習いをしてましたよね」
「ええ、そうよ、その通りだわ。あなたはパパスさんの息子……リュカ……! リュカなの!?」
シスターの頭の中で、記憶が一本の道となり、繋がった。パパスが傍らにいたまだ幼い息子を『リュカ』と呼んでいたことを思い出す。パパスの家に一緒にいた太ったおじさんと、村歩きをしたりしていた。年の同じくらいの女の子と、村の中を駆けまわったりしていた。やたらと大きな猫と、村の隅々まで探検したりしていた。
村人たちはみな、パパスの息子の名を知っていた。パパスは村一番の有名人と言っても過言ではない人物なのだ。その息子ともなれば、この小さな村に知れ渡っているのは当然のことだった。 リュカ自身も、一度も話をしたことのない村人からも、自分が名前で呼ばれていたのを思い出す。
「パパスさんは、どこにいるの? 今も一緒に旅をしているのではないの?」
シスターの問いかけに、リュカもヘンリーも言葉を詰まらせる。しかしここで嘘をついても何にもならないと、リュカは重々しい口を開く。
「父は旅の途中、魔物に襲われ、死にました。僕をかばうために、死んだんです」
シスターの目がこれまでにないほど見開かれる。信じられないという風に、首を小さく横に振る。しかしリュカが黙りこくって俯き加減に口を引き結んでいるのを見ると、彼女の目から涙がこぼれ落ち始めた。
「こんなことって、こんなことって……。ああ、神様!」
叫ぶような彼女の声が、リュカとヘンリーの心に突き刺さる。父が死んだのは紛れもない事実だが、父を知る人にその事実を伝えることは、父が本当の意味で死んでしまったようで、リュカは今までにない苦痛を感じた。父の死が自分だけのものではなくなってしまった。父の死は世に認められ、その事実からはもう逃げられないのだと、リュカは唐突な息苦しさを覚えた。
ヘンリーが隣で小刻みに肩を震わせているのを感じたが、リュカは彼の方を向く勇気が出せなかった。サンタローズの村は、言わばヘンリーが原因となって、焼き払われたのだ。あの時ヘンリーが床下の部屋に隠れなければ、あの時の男たちにさらわれることもなかった。ヘンリーがさらわれなければ、父が東の遺跡に向かうこともなかった。そもそも、リュカたちがラインハットに行かなければ、全ての凶事は起こらなかった。
過去をさかのぼっても仕方がないと分かっていても、目の当たりにしたサンタローズの荒廃ぶりに、リュカは過去をやり直せたらと、つい考えてしまう。いつの選択が間違っていたのか、たとえ過去に戻れたとしても、その選択をただすことはできない。その時はその選択が正しかったのだ。
だから、リュカは胸の内に潜む怒りを、忘れてしまおうと努める。自分でも信じられない怒りを隣の友に知られない内に、閉じ込めてしまおうと、ひたすら押し黙っていた。
『ヘンリーがいなければ』一瞬でもその言葉が脳裏を掠めたことに、リュカは深い罪の意識を感じた。それは一番考えてはいけないことだった。
『自分がいなければ』誰よりもそう思っているのが、隣で肩を震わせている彼に違いなかった。
父が死んだこと、サンタローズが魔物に襲撃されたこと、全ては起こってしまったことだ。それを今から変えることはできない。受け止めるしかない。そしてここで足を止めるわけにはいかない。
父の遺志を継ぎ、母を探す旅を続ける。リュカには確固たる人生の目的があった。今はそのことだけを考えようと、リュカは強引にサンタローズの惨状に目を瞑ろうとした。一時的にでも心を避難させなくては、訳の分からない感情が爆発しそうだった。幸い、もう外には夜が訪れ、雨を降らす分厚い雲が月も星も隠してくれている。明日の朝までは、村の惨状を見なくて済むだろう。リュカは久しぶりに朝が来るのが怖いと感じていた。
「パパスさんが死んだなんて、信じられないわ。あれほど強い人が、どうして……」
自分や父の昔を知っている彼女に話すことが、過去と向き合うことだと、リュカは静かにこれまでのことを話し始めた。サンタローズを出てからラインハットの向かい、ラインハット城では王様に会ったこと、美味しい料理を食べたこと、お城の中をプックルと一緒に歩きまわったことなど、彼女にあまり刺激を与えないような話を無意識に選び、リュカは話した。
父が旅していた理由を話し、リュカは父の遺志を継いで今、母を捜す旅をしていると告げる。もしかしたらシスターは過去、パパスから何かを聞いているかも知れないと淡い期待を抱いていたリュカだが、彼女は他の話と同じように驚きに目を見張るだけだった。シスターも十年ほど前は、今のリュカと同じくらいの年だった。パパスと直接話す機会もそれほどなかったのだろう。
生前のパパスのことを知るのに一番の近道は、サンチョに話を聞くことだった。しかしこの村にサンチョはいない。シスターの話によれば、パパスとリュカがラインハットへ旅立ったおよそ半年後、サンチョは二人の後を追うように村を出て行ったということだった。彼が村を出て行った直後くらいに、ラインハットの襲撃があったという。
「その後、一度サンチョさん、村に戻ってきたのよ。ラインハットでパパスさんやあなたのことを全く聞けずに、お城へ入ることも許されなかったって。でも戻ってきたら村はひどい状態で……サンチョさん、とても悔しそうだった」
リュカにはサンチョがそんな表情をするところが想像できなかった。いつもにこにこ、リュカの前では笑顔を絶やさなかった。そんなサンチョに怒りや悔しさという負の感情があったことが、大人になった今でも信じられない。
「その後、サンチョはどこに行ったんだろう」
「分からない。でも、パパスさんやあなたを捜しに行ったのは間違いないわ。だって、あなたたちって家族も同然なんでしょう? 今もどこかであなたを捜しているのかも」
シスターが遠い目をしながら、かつての風景を思い出す。再び村を出る時のサンチョの背中が、やけに小さく見えたのを、心が覚えている。しかし彼の意志の強さは、その小さく見える背中からも溢れるほどに感じた。
二人は一通り話し終えると、互いに長い息をついた。静かな教会の中に、外の雨の音がしみわたるように響く。心地よい雨の雑音が、リュカの心を徐々に落ち着ける。
大分気持ちが落ち着いたリュカは、ようやく隣に座るヘンリーに目を向けた。しかし、そこにヘンリーの姿はなかった。灯りの届かない教会の隅にいる気配もない。いつの間にか、ヘンリーは教会を出て行ってしまったようだ。シスターとの話に夢中になる余り、隣からヘンリーの気配が消えたことにも気がつかなかった。
思わずリュカは彼の名を呼ぼうとした。しかし寸前のところで思いとどまった。ヘンリーはラインハットの王子なのだ。たとえ本人がそれを否定したところで、生まれを否定することはできない。ラインハットに微塵も良い感情を持たないシスターは、もしかしたら行方不明になった王子の名を知っているかもしれない。
リュカがキョロキョロしているのを見て、シスターもリュカの友人の姿がないことに初めて気がついた。席を立ち、教会内をぐるりと見渡すが、教会内は隅々まで静けさに満ちている。
「僕、ちょっと捜してきます」
「外は雨だから、今、傘を持ってくるわ」
「いえ、大丈夫です。ところで、今晩一晩、ここで泊まろうと思うんですけど」
リュカがそう聞くと、シスターは教会ではなく、小さな宿屋を紹介してくれると言う。村の宿屋は跡形もなくなっていると思っていたリュカは、シスターの言葉に首を傾げた。しかしシスターの紹介する宿屋というのは、昔は道具屋を営んでいた場所で、そこは洞穴だったため壊れることもなく残ってると言う。
「他の町の宿屋に比べれば、そう呼ぶのも気が引けるほどの小さなところだけど、二人分くらいの寝床なら提供してもらえると思うわ」
「ありがとう。明日また、寄ります」
リュカはシスターに礼を言い、教会を立ち去った。外は冷たい雨が降り続いている。心の奥底までじわりと湿らすような陰気な雨だ。教会の屋根のひさしの下に、申し訳程度に火が灯されている。風はほとんど吹いていないため、ひさしの下の火が雨に濡らされることもない。
ヘンリーはそのひさしの下に立っていた。頼りない火の灯りが、呆然と立ち尽くすヘンリーを仄かに照らす。そんな彼の、どこも見ていないような視線を見て、リュカは彼に掛ける言葉を見つけられなかった。互いに、そこにいる、という存在を感じていながらも、二人はどちらからも近づけなかった。
リュカは夜空を見上げた。月も星もない雨の夜空には、何もなかった。ただ教会前の小さな灯りに照らされて、時折、雨がきらりと光るように見えるだけだ。今のリュカにとっては、村に灯りがないのが救いだった。襲撃され、焼き尽くされたような村を見るには、まだ心が追いつかない。月明かりも星明かりもないことに安堵したのは、初めてのことだった。
「……俺は、どうしたらいい」
雨の雑音に混じって、ヘンリーの小さな声が聞こえた。リュカは彼の方を振り向くことなく、足元に跳ねる雨の気配に目をやりながら、返す言葉を考える。しかしリュカにはその答えが見つからなかった。ヘンリーも言葉に出して問いかけたつもりはなかったのだろう。リュカの返答を待つでもなく、ただぼんやりと視点の合わない夜を見つめている。
『ヘンリーがいなければ』
一瞬でも頭の中を過ったその感情のせいで、リュカはまだヘンリーの顔を見られないでいる。内側で暴れるような感情を抱えたままヘンリーを見てしまえば、冷静でいる意識も暴発してしまいかねないと、リュカはじっと雨の落ちる暗い地面に目を落としていた。
「俺がいなくなれば良かったのにな」
まるで自分の醜い心が読まれたのかと、リュカは思わずヘンリーを見た。ヘンリーはひさしの下から出て、雨に当たっていた。それほど強い雨ではないが、長い時間当たっていれば、全身ずぶぬれになるほどの雨だ。うなだれる頭や首に、雨がしみ込むように吸い込まれて行く。そんなヘンリーの姿を斜め後ろから見ながら、彼が唇を噛みしめて震えているのをリュカは見た。
「俺がいなくなれば良かった」
自責の念を吐露するヘンリーを見ながら、リュカはやはり自分の頭の中に一瞬過った感情は間違っていると、はっきり分かった気がした。
ヘンリーがいなかったら、父は死なないで済んだのか。父は幼いリュカを連れ、世界中を旅していたのだ。もしあの時ヘンリーと会わなくとも、旅をしている最中、いつどこで倒れてもおかしくはない人生だった。幼いリュカは勇敢で逞しい父と共に旅をしている最中、父に守られている安心感で危険を感じることはなかった。しかしパパスはリュカと言う幼子を連れ、いつでも身を呈して子を守らなければならないと、常に死と隣り合わせでいたに違いなかった。
ヘンリーが攫われ、彼を助けに行ったのがきっかけで父が命を落としたのは、長い旅の間での偶然に過ぎない。旅をしていれば、死と言う危険はどこにでも転がっていた。その石に、たまたま父が引っ掛かり、リュカやヘンリーが逃れたというだけだ。
「僕は、君がいてくれて良かったって思う」
リュカは『ヘンリーがいなければ』という表面的な否定の思いを押しのけ、胸の中で温まっている本心を口にした。実際、リュカは彼に心から感謝していた。父がいなくなった後、もし一人であの大神殿建造の地へ連れてこられたら、恐らくひと月も経たずに自ら命を絶ってしまっていただろう。生きるのが自分一人だったら、自分が死んでしまえば何も失うものはない。しかし、ヘンリーがいたおかげで、自分はここまでしぶとく生き延びることができたのだ。
もし自分が死んでしまったら、彼を一人残してしまうことになる。幼心にもリュカは自分が死ぬわけにはいかないと、意地や責任を感じていた。そしてその思いは恐らく、ヘンリーの方が強かったはずだ。
「冗談はやめろよな」
「冗談じゃない、本気だよ。本当に君がいてくれて良かったって思ってるよ」
「ふざけんな。そんなわけないだろ」
「信じてもらえないかもしれないけど、本当だよ」
ヘンリーが睨むようにリュカを振り返る。リュカも雨の下に身を晒しながら、ヘンリーを睨み返すように見つめる。互いに鋭い視線を投げようとも、二人とも相手の泣き顔を見ているような気分だった。
「だって、俺がいなければ、俺がお前や親父さんに会わなければ、何もなかったんだ」
「ヘンリー、僕、前にも言ったよね。過去のことを考えたらキリがないって」
「そんなこと分かってるよ」
「分かってないよ。君はずっと過去のことを考えてるじゃないか」
「分かっててもできねぇんだよ」
「無理してでも、やるんだよ」
強いリュカの口調に、ヘンリーは顔を歪めたまま身体を震わせた。依然として雨は降り続いているが、二人の耳にはその音が響かない。ただ互いの言葉や雰囲気だけに、神経を張り詰めていた。
「僕だって、辛いよ。でも、辛いことを辛いって思ってたって、どうしようもない。無理してでも、辛くない、って思うようにする」
「自分を誤魔化すなよ。どうしてそんなことするんだ」
「誤魔化してるんじゃないよ。ただ自分の中に閉じこもらないようにしてるだけ」
「何言ってるんだよ」
「自分が辛い、悲しい、って思う以上に、もっと辛くて悲しいって思う人がいるんだから、悲しんでもいられないよ」
リュカは父を失った悲しみ、村を滅ぼされた悲しみから一生、逃れることはできない。しかしそれは自分自身だけのことだ。もし自分のせいで誰かが死んだり、誰かの故郷が滅ぼされたりしたら、その悲しみは一体どれほどのものなのか、リュカには計り知れないものがあった。
そんな大きな悲しみを負わされることになった友の顔を、リュカは泣きそうな顔で見る。ヘンリーは恐らく、泣いているのだろう。雨に紛れ、頬を流れる涙は、それこそ悲しみを誤魔化しているようだった。
「自分一人で悲しいとか、辛いとかって思うのって、自分勝手だよね。そんな風に思うんだったら、僕は自分にできることを見つけたい」
「自分にできること……」
「僕たちは生きてるんだから、何でもできるはずなんだ。悲しくて立ち止まるなんて、何だか申し訳ないよ」
誰に申し訳ないのか、などとヘンリーは聞きもしなかったし、リュカも言わなかった。
父パパスは身を呈して子供たちを守った。それは子供たちに生きていて欲しいからだった。何よりも誰よりも真剣なその思いで、彼は何の迷いもなく剣を置き、子供と魔物の前に身一つを晒したのだ。
そして自分がいなくなっても子供が生きることを止めないように、パパスはリュカに生きる目的を与えた。父との旅の間、ずっと知らされていなかった旅の目的を、父は死ぬ間際にリュカに教えた。それはもしかしたら、子供の人生を縛りつけるだけのものになるかも知れない。しかしそんな悩みなど飛び越えたところで、パパスはリュカに生きて欲しいと願った。それは親としての唯一の、我儘だった。
「あの時のお前の親父さんの姿、俺の目にはっきりと焼きついてるよ」
ヘンリーの言葉に、リュカも彼と同じように、その時の父の背中を思い出した。思い出したくない記憶だが、今は落ち着いてその時の記憶を脳裏に見ることができた。
サンタローズの村が襲撃を受けた時、恐らく逃げ遅れた村人が何人もいたはずだった。その時の惨劇が言葉に尽くせないほどだったことは、教会のシスターの怒りや悲しみから窺い知ることができた。ヘンリーはシスターの話の途中で、席を立ったのだろう。とてもそのまま話を聞いていられる心境ではなかった。今すぐにでも死んで罪を償いたい、ヘンリーはそう思った。シスターにナイフを手渡し、それで殺してくれと頼みたいくらいだった。
しかしそんなことをしたところで、リュカもシスターも悲しみを終えることはできない。ヘンリーがいなくなったところで、パパスが死んだ事実も、村が滅ぼされた事実も変えようがない。起こってしまった出来事には、立ち向かうしか手がないのだということを、ヘンリーも嫌と言うほど分かっていた。
「俺にできることなら何でもする。お前や、この村の人たちのために、何でも……」
「一緒に考えよう、ヘンリー」
「生きるって、結構辛いな」
「死ぬよりマシだよ。そう思わないと」
「そうだな」
雨は少し小降りになってきていた。だが月も星も隠す雲は夜空一面に広がっている。このまま一晩中、雨が止むことはないだろう。雨に打たれていた二人は、全身すっかりずぶ濡れだった。リュカがくしゃみをすると、それを追いかけるようにヘンリーもくしゃみをする。
「このまま風邪を引いたんじゃ、明日何もできなくなるよ。とりあえず宿で休もう」
「宿屋があるのか、この村に」
「シスターに聞いたんだ。あっちの洞穴に寝床を用意してくれるところがあるって。オラクルベリーで会った旅の戦士みたいに、ふらっと村に立ち寄る人のために用意してくれてるんじゃないかな」
「お前の村、良いところだったんだな」
「うん、みんな優しい人だよ」
まるで今のことのように話すリュカを見ながら、ヘンリーの胸はやはり痛んだ。歩き出すリュカの後を、俯き加減についていくヘンリーは、暗闇の中に目を凝らして村の様子を見ようとする。しかし教会の外に建物らしい影はなく、村全体に火が放たれ、焼き尽くされてしまったことを改めて感じる。宿に泊まり、明日の朝を迎えたら、嫌でもこの村の様子を目の当たりにすることになる。それは恐怖でしかなく、逃げ出したくなる気持ちは常にある。
そんな気持ちを消し去るように、ヘンリーははっきりとリュカに言う。
「リュカ、お前、絶対に母さんを捜し出せよな」
後ろから聞こえた強い言葉に、リュカは振り向いて笑顔を見せた。夜の暗闇中では互いに表情など分からなかったが、二人の間に流れる雰囲気が一度緩み、そしてまた繋ぐ糸が一段と強くなったことを肌で感じた。
「手伝ってね、ヘンリー」
「言われなくてもしつこいくらい手伝ってやるさ」
「心強いよ、親分」
リュカもヘンリーもそれきり口を聞かずに、ただ村の洞穴に向かって足を進めていた。教会の裏手から進んだところに、ほんの小さな灯りが揺れているのが見える。まだ瓦礫の残る村の道に注意しながら、二人は一定の距離を保ちながら歩く。
雨の音はかなり静まっていたが、まだ虫が鳴くほどの小康状態ではない。静かなさらさらとした音がサンタローズの村全体を包んでいる。その音に紛れて、互いにすすり泣く声には気づかないふりをしていた。様々な思いが交錯し、一体自分が何で泣いているのかも分からず、リュカもヘンリーもあの灯りに着くまではと、構わず涙を落していた。

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